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映画「バハールの涙」衝撃の希望!


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とんでもない映画を観てしまった

バハールという女隊長の率いる女たちの武装部隊があった

彼女たちは歌う

女の声が聴こえると敵は震えあがる

女に殺されたら天国へはいけない

そして

女は恐いもの知らずだからと

女たちのくぐり抜けてきたあまりにも悲惨な体験が

バハールたちのような女戦士を生み出していく

そんな戦争の現実が遠い空の向こうで

今も日々行われているこの理不尽さ

今日も今もこの時も

目の前で親を殺され

女たちは強姦凌辱され

男たちが飽きるまで数週間ごとにたらい回し

飽きて殺される迄

それは永遠に続いていく地獄

そして子供たちはさらわれ

女の子は性奴隷として10歳ぐらいが一番好まれ

男の子は殺人兵器として作り上げられる

しかし、弱き者たちは

いつしか立ち上がり

必ずや戦うだろう

バハールの涙と共に

それでも

希望があると信じて

一人でも多くの人に観てほしいと願う映画だ

MY評価:☆☆☆☆

2018年/2019公開 111min

仏、ベルギー、ジョージア、スイス合作

監督・脚本/エヴァ・ユッソン

音楽/モーガン・キビー

キャスト/ゴルシフテ・ファラハニ、エマニエル・ベルコ


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人は誰でも発達障害!?





 

例えば、最大公約数的一般社会や普通の会社のような経済効率を追求する組織では、

自分の常識が通常の一般常識としては通用するかもしれないけれど、

実のところそういう当たり前のような常識の影で、

全く違った考え方や感じ方をする人たちは密かに傷ついていくわけで、

そう思って振り返れば、

あんなこともこんなことも、

もっと違った言い方ややり方があったのにというようなことが、

僕の過去に累々と点在しているようなのです。

 

何でこんなことが!

と思わず他人にムカッとした時、

あぁ、もしかしたらあの人は気がつかないだけなのかもとか、

分らないだけかもとか、

そういう性質というだけなのかもとか、

或は自分の考えが間違っているのかもしれないとか、

とかとかとか、、、

当たり前のことだけど

人はみんな欠点だらけだから、

上手く出来ないこともたくさんあるのだから、

お互い様だから、

と思えると怒りもスッと消えていく。

あまりにも当たり前なのですが、、、。

 

上手く出来ない事は大なり小なり誰にでもあるけれど、

上手く出来ないことが社会に適応できない程度の場合は、

いわゆる発達障害というレッテルが付くことになる。

 

でも僕も自分でも呆れるくらいおっちょこちょいだし、物は良く忘れるし、

笑っちゃうくらい方向音痴だし、

もしかしたらこの部分は軽い発達障害と言えるんじゃないか、、、。

障害というと抵抗があるけど、

少なくとも他の人より発達が遅れている部分であることは確かな事です。

だとすれば、

人は誰でも多かれ少なかれ発達障害的なものを幾つも持ちつつ

何とか生きているのかもしれない。

 

発達障害なんて自分とは全く無関係と思っていたけど、

実はぜんぜんそんなことじゃなくて、

障害って言うからおかしなことになるのであって、

脳の発達がみんな人それぞれ違うのだということを理解すれば納得もいきます。

脳の発達は、これまで人間は誰でもが定型の曲線を描いて発達するもの

と考えられていたらしいのですが、

どうやら人それぞれ発達のスピードは異なり、

かつ能力のすべてがパラレルに成長していくわけでもないということが分かってきたらしいのです。

発達障害と言われている人たちも決して発達しないわけではなく、

発達の仕方が独特で定型発達の秩序から外れているだけらしいのです。

よく言う言い方で、

所詮人は誰でもみんな変わっているところがあるものだから

誰でもみんな変人だ、などと言ったりしますが、

それは少なからず変わっている部分の脳の発達が周りと少し違うという事なのかもしれません。

英語直訳では神経発達のずれ、とも言うらしいです。

ですから、人はみんな多少の神経発達のずれはあるのでしょうから、

つまり日本的な言い方では、

人は誰でも「発達障害」を持っている、

と言えるのかもしれないですね。

2019/10/30

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吉本、張本、昔は正しかったのに!

吉本騒動も、張本コラムも、ひと昔かふた昔か、とにかく相当昔は正しかったように見えていた。

少なくとも、そう「見えていた」ことだけは確かだろうな。

ところが、今や、れっきとした 時代錯誤 だ。

存在が大きくなって、まるで恐竜だ。絶滅前の絶滅種の様相を呈してきている。

 

 

 

 

 

 

ここまで時代や常識や社会通念と乖離して尚生き延びて来たことは、むしろ驚くべきことなわけだが、よく考えてみれば何のことはない、周りがそれを許してきたとういう一点に集約される。

許してきたというよりも、実は利用してきたという方が当たっているのかもしれないが…

間違っているのは承知の助なのである。

テレビ局や周りのマスメディアがそれを知らないわけがない、と見ている。

知っていて面白がったり、或は面白くも何ともないけど視聴率が取れるとか、部数が伸びるとか、たいがいがそんなものだろう。

だから、この件は完全にアウト!だ。

本人はもちろんだが、利用してきた周りの環境まるごとアウトなのだと思う。

正しいと思っていたことも、いつまでも不変ではない。

そろそろ変わらなきゃだが、ほっといても時代が淘汰するのだから、いつの間にか変わっていたり、そう言えば見なくなったとかになるのだろう。

正しいことも時代を生き残ることは容易ではないのだ。

誰だって経験している。今まで信じて疑わなかったことが、今や正反対の大間違いのことだったなんて。それと同じことが彼や彼等に起こっているということだ。

あまりに当たり前のことだから、こんなことを書くのだって、空しいと言えば空しい行為だ。

つい調子に乗って書いてしまった!

2019/07/30

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2019年アカデミー賞/女性とメキシコとブラックパワー!

2019/2/26

メキシコはメキシコの壁の費用は払わないトークで始まった!

今年のアカデミー賞で最も象徴的だった受賞は主演男優賞だったかもしれない。「ボヘミアン・ラプソディ」で受賞のラミ・マレックはパキスタンからの移民だ。モデルのフレディ・マーキュリーは移民のゲイという極め付きのマイノリティだ。

想像に難くないのが、アカデミー会員の多くが感じていた今年の空気感である。

いわゆる空気を読んだ結果が、あらゆる差別の無い多様性であり正しい人権の在り方だったはずである。

去年は直前のセクハラ事件もあって女性と移民のアカデミーの印象だったけど、今年も終わってみれば、女性とメキシコと黒人パワー全開のアカデミー賞であった。

但し、受賞の流れから言って作品賞は監督賞のアルフォンソ・キュアロンの「ローマ」が妥当なはずだったが以外にも「グリーン・ブック」となった。

この作品も黒人差別が重要なテーマであっただけに、ある意味まっとうな結果とも言えるが、実際のところネット配信のメキシコ映画が受賞するほどアカデミーは進んでいないことの証明のような気がしてしまった。

それと、司会者が居なくても全く問題ないということがもう一つの意外なことだった。これでいいじゃない、と思うけど来年はまた司会者ありなんだと思う。司会者無しはスタッフの準備が大変そうだからね。

それにしても、現在のアメリカの多様性というより、混沌と言った方が適していると思うけど、この混沌とした現状への危機感を強く感じた。つまり、トランプ大統領への危機感がアカデミー賞全体に色濃く反映していたと言ってもいいのかもしれない、そんなアカデミー賞だった。

さて、来年はどんな世相が背景にあるのだろう?

2019/2/26

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2019年グラミー賞は意外だけど妥当 !?

2019/2/11

今年のグラミー賞のテーマは多様性!

最近よく聞くダイバーシティ。男ばかり受賞した去年の反動ということか。いつの年もその時代性を否が応でも映し出してしまうのが、グラミー賞とアカデミー賞だ。一足先に行われたグラミーアワード

だが、受賞は意外な結果となった。何より意外だったのはラッパー兼俳優のチャイルディッシュ・ガンビーノが米国の銃社会を批判した曲「This is America(ジス・イズ・アメリカ)」で、 最優秀レコード賞と楽曲賞のダブル受賞だ。これも去年のブルーノ・マーズの圧倒的に楽しい楽曲の反動だろうか?とは言ってもアメリカの音楽シーンて意外にメッセージ性がストレートな物が多い中である意味妥当だったのかもしれない。しかし、大方の予想を外したのも事実。

更に極め付きの意外性は 、最優秀アルバム賞だ。カントリー女性歌手ケイシー・マスグレイヴスの「ゴールデン・アワー」の受賞には本当に驚いた。ブラック・パンサーのアルバムやドレイクの「スコーピオン」のソーシャルな話題性と売上高を考えればまさかの女性カントリー歌手!これも去年の男ばかりのグラミーの反動と考えれば、妥当なのか!

こうなると、以外と言うより妥当なグラミー賞ということになる。

そもそも多様性の本来の意味を考えれば、ただ単に女性の候補や受賞者やパフォーマンスを多くしたりすることではない。今回のことが去年の傾向と対策であるなら(そうだと思うが)、それは去年が男性メインの受賞だったことから「女性も頑張ってほしい」というグラミー会長の失言によるところが大きい。彼のその発言は想像以上の大バッシングを受けてしまったからだ。だから今回の仕立ては十分過ぎる程の想定内の出来事だった?かもしれない。

多様性って、それが本質的に継続していくことから生まれてくるはずのものであって、何かの修復とか反動であってはならないんだけど、実はグラミーもアカデミー賞もいつも前年の反省の上から試行錯誤の連続だ。反省と言えば聞こえはいいけど、だいたいが今回の様な修復が常。

まあ、そこが面白いと言えばそうなんだけどね。

2019/2/11

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映画「男と女」フォトジェニックに昇華して!

陶酔映画の極致

大人になって観るほどに陶酔する映画

若干29才のクロード・ルルーシュ監督が夢想した、大人の世界なのか。

自身がカメラマンとなり、フォトジェニックな映像美の世界に昇華させた。

全く無名の新人がスポンサーもなしに映画史に残る作品を完成させるなんて、ヌーヴェル・ヴァーグというニュー・ウエーブがあったからとも言るが、ルルーシュ独自の世界観の特異性の当然の結果なのかもしれない。

映画製作に於いての行動力はヌーヴェル・ヴァーグ的かもしれないが、当時は日本でさえも体制的な作家として多少の不遇感はあったように記憶してるし、ましてや、本国フランスにおける彼の立ち位置は微妙な息苦しさがあっただろうことは容易にうかがえる。そんな環境の中、まだ無名だったことはむしろ幸運だったのではないか?生涯で一番自分のやりたいようにできた作品だったのかもしれない。

金銭的な制約は自らカメラを担いで極めて短時間に撮ってしまうという、当時では革命的な手法をもたらした。それは軽快なリズムとドキュメンタリーのようなリアル感を生み出すことになった。

更に特筆すべきは、フランシス・レイとクロード・ルルーシュとの出会いである。映像に音楽が効果的に作用するとかではなく、その二つは相互に対等に作用して融合するという、映画史上未だかつてなかったスタイルを生み出したのだ。

幸運で幸福なふたりの出会い

フランシス・レイなくしてルルーシュ作品は成立しないと言ってもいい。

出会いは彼らにとっても幸運だったが、映画界にとっても幸福な出来事だった。これ以降と以前では映像と音楽のかかわり方が明白に違ってくるのだから。

さらに、フランシス・レイのメロディアスでリリカルな音楽性と、ブラジルのボサノバとの融合というチャレンジは、稀に見る成功をもたらした。

そして、アヌーク・エーメの美しすぎるほどの存在が「男と女」の幸運の最後のピースとなり、奇跡の映画が誕生した。

MY評価 : ☆☆☆☆★
1966年公開   フランス   102min    
原題/Un homme et une femme (ある男とある女)
監督・脚本・撮影/フランシス・レイ
音楽/クロード・ルルーシュ、バーデン・パウエル
キャスト/ジャン=ルイ・トランティニャン、アヌーク・エーメ、、ピエール・バルー
1966年カンヌ映画祭グランプリ受賞 
1966年アカデミー外国映画賞受賞
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映画「グロリア」ハンドバッグにマグナム入れて‥‥

 
ゾクゾクするほどカッコ良過ぎる映画

主役は、マグナムが世界一似合うジーナ・ローランズ

パートナーはあの、ジョン・カサベテス。本作の監督、脚本でもある。

カサベテスとジーナは映画作りの戦友のような関係なのではないだろうか。

さすがに、彼女の魅力をよくわかってると思わせるシーンの連発だ。

と言うより、カサベテスはジーナにべた惚れなのがよくわかる。

彼がジーナをどれほどカッコ良く魅力的で素敵な女性なのかを一番よく知っていて、そこを如何に魅力的に映像に写し取るかに異常なまでの情熱を燃やす。
特に輝くシーンは、ジーナ・ローランズが拳銃を使う幾つかのシーンに凝縮しているといっていい。

ジーナは、いきなりマグナムをぶっ放す!

そのタイミングが素晴らしい。

躊躇なく撃つ。

躊躇なく相手を殺しにかかる。

そのタイミングの演出とジーナの演技が、リアルな世界を誕生させる。

今この瞬間にと「判断」して撃つ訳ではないところがいい。

考える間もなく、彼女が今まで生き残ってきた嗅覚が瞬時に反応しているだけ、と思わせるリアルさを演出している。

グロリアの生きてきた環境も、彼女の性格も、一気にすべてを見せてしまう演出と演技。

グロリア(ジーナ)は、マグナムが良く似合う

タクシーの止め方、ドライバーとのやりとり、バーでのたたずまいとバーテンとの何気ない会話、ホテルマンや銀行マンとの態度等々すべてのシーンに意味があり、経験と動物的感から感じ取る危険を回避する反応と決断と行動は、いったいどれほどの修羅場をくぐり抜けてきたのだろうか、と思わせるのである。

グロリアの一挙手一投足が彼女のあらゆる面を映し出すのだ。

男のハードボイルドの秀作は数あるが、

女のそれはこの「グロリア」をおいて右に出る映画はないだろう。

それほど、ジーナ・ローランズの存在感が際立っている。

当たり前だ。何故なら鬼才ジョン・カサベテスが渾身の力でジーナ・ローランズというたぐい稀なミューズをミューズたらしめるために撮った、彼女のための彼女だけの映画なのだから。

MY評価 : ☆☆☆☆
1981年公開  アメリカ  123min  原題 Groria 
監督/脚本/ジョン・カサベテス、音楽/ビル・コンティ 
キャスト/ジーナ・ローランズ 
1980年ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞受賞
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映画「冒険者たち」陶酔こそ映画だ!

 
陶酔こそ映画だ!

青春の甘美な輝きを描いてこれ以上の映画があるだろうか!

異彩を放つ才能たちの、幸運なる出会いによって紡ぎだされた珠玉の一品。

みずみずしいタッチの演出に、フランソワ・ド・ルーペの 胸をかきむしるようなリリカルな音楽が全編を彩る。

時代が生んだ二度と再現できないアンサンブル

アラン・ドロンとリノ・ヴァンチュラ、正反対の個性の対比が生み出す稀に見る友情の奇跡。

ふたりの友情の間に佇むジョアンナ・シムカスの美しさは、女性が一生の間に最高に輝く一瞬の煌めきを体現していたかのようだった。

異色の才能がキラ星の如く集結し、今この瞬間にしかあり得ない輝きを永遠にフィルムに閉じ込めたのだ。

そう、まさにもう一度、TVでなく映画館で、デジタルでなくフィルムで観たいと思わせる代表の一作である。

MY評価 : ☆☆☆☆★
1967年公開   フランス   112min   原題 Les Abenturier
監督/脚本     ロベール・アンリコ   音楽 フランソワ・ド・ルーペ
キャスト         アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、ジョアンナ・シムカス
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映画「蜘蛛女」エロくて残虐、史上サイテー悪女!!!

エロくて残虐、これ以上無し!

映画史上サイテー悪女見参!!

胸がすくほどカッコいい、レナ・オリン!

必殺、レナ・オリンの太もも三角締めが衝撃だ。

笑いながら絞めていく!

ぞくぞくするほど邪悪な顔で、哄笑しながら殺していく。

その女のココロに、いったい何があるのか?

僕達には知るよしもない。

同様に、ゲイリー・オールドマンの見事なやられっぷりは、

まるで男を代表してるかの如くの惨めさだ。

レナ・オリンの爽快なまでの悪女ぶりとはうらはらに、

映画のラストは、微妙な余韻を漂わせて、

僕等は戸惑い

目眩のなかで

陶酔するのだ。

MY評価 : ☆☆☆☆
1994年公開   英/米 合作   100MIN   
原題 Romeo Is Bleeding(トム・ウェイツの曲名から)
監督     ピーター・メダック
キャスト   レナ・オリン、ゲイリー・オールドマン
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映画「キャロル」心を奪われてしまう!

ごく稀にこのような映画に出会うことがある。

夢のような陶酔が切なく哀しい物語

監督トッド・ヘインズのチームは信じられないような映像を創造する。


まるでマジックのように作り出されるシーンの数々は、完璧に計算されつくされたカメラワークと構図、色合いのトーン、質感、メロディー、効果音、衣装、美術等々、そしてケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの息を飲む美し過ぎる存在感との融合が織りなす映像だ。

原作は「見知らぬ乗客」「太陽がいっぱい」のパトリシア・ハイスミスで、未だに唯一翻訳されていなかったという。「The Prise of Salt(よろこびの代償)」1952年著作。やはり一筋縄ではないストーリーだった。

1950年代の女性同士の恋愛だから、当時としては相当に衝撃的で禁断の物語だったはず。ハイスミスは別名で発表して大ベストセラーとなったらしい。初めて二人がセックスをするシーンは、なんとも感動的にロマンチックで、美しく、そしてエロチックだ。これでは良く出来た男女のラブシーンもまるで相手にならない。

本作の中でキャロルを演じるのは、『ブルー・ジャスミン』でアカデミー賞主演女優賞を受賞した ケイト・ブランシェット、天から落ちて来た如くの娘テレーズを演じるのは『ドラゴン・タトゥーの女』で同じくアカデミー賞主演女優賞ノミネートのルーニー・マーラだが、両者ともに今作品の演技の方が上の印象だ。となれば、今回のアカデミー賞のダブル受賞も十分に期待できるが、保守的なアカデミー会員は作品賞に選ばなかったことからも、受賞とは考えにくい。しかし、間違いなく受賞に値する極め付きの秀演であったことは断言できる。ケイトにいたっては、過去に受賞しているとか何回目だとかいうことは、このような秀演の前では全くどうでもよくなる。もはやメリル・ストリープさえ超える勢いだ。

この映画は女性同士の愛であるが、愛を描いてその素晴らしさは異性間の愛となんら違わないということを、偏見がある人も含めて全ての人に納得させてしまうことだろう。

ラストのケイトの表情が、忘れられない…

MY評価:☆☆☆☆★
2015/2016年公開   アメリカ   118min   原題/Carol
原作/「The Prise of Salt(よろこびの代償)」
スタッフ 監督/トッド・ヘインズ、脚本/フィリス・ナジー、撮影/エド・ラックマン
音楽/カーター・バーウェル 、衣装/サンディ・パウエル
キャスト ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、サラ・ポールソン
カイル・チャンドラー
カンヌ国際映画祭 パルムドール ノミネート 、女優賞 ルーニー・マーラ受賞
第88回アカデミー賞 主演女優賞、助演女優賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞
           衣装デザイン賞ノミネート(未発表) 他多数ノミネート未発表
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映画「復讐のセクレタリー」恐怖の母性愛、深く静かに疾走する!

母性愛が狂うとき

愛の怖さ、想いの深さの恐ろしさ、絶望的な喪失感は憎しみへと転化して復讐へと駆り立てる。

手間と時間をたっぷりかけて、深く静かに復讐は疾走していくのだ。

もう、誰にも止められない。

ここまで徹底的に復讐に燃え、着々と実行していくところは胸のすく思いすらするが、反面復讐される側の都合にも思わず同情してしまうほどだ。

それほど復讐する女の情念は、徹底的に過激で残酷だ。

テーマは子を失った母の心はどれほどの哀しみなのかを描ききることでもあるが、

もう一つは、ナタリー・バイという稀有な女優の魅力を余すことなく見せることだったように思う。

復讐する過程で見せる様々な女の側面が、ナタリー・バイ・オン・ステージ!の如く、実に魅力的に描かれている。

MY評価:☆☆☆★★★
2015年製作/2016.3.18WOWOW日本初公開    88min
フランス・ベルギー・ルクセンブルク合作
監督/クリストフ・アリ、 ニコラ・ボニラウリ
キャスト/ナタリー・バイ マリー、 マリック・ジディ
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映画「ザ・コンサルタント」近年出色の傑作!

近年これほど見ごたえのある映画も珍しい

実に奥行きのあるエンタテイメントとして仕上がっている。

何といっても脚本が秀逸だ。全く無駄の無いストーリーテリング。更に、人物の全ての行動の背景にただならぬリアリティーがあり、そこがこの作品の最大の魅力となり骨太な映画となっている。

2時間を超える作品だが、まったく緩みを感じさせない。過去と現在が交錯していく度に物語はエネルギッシュに展開していく。堅実な演出と編集の職人技だ。

幼年期からのトラウマに振り回される兄弟の物語でもあるが、自閉症というマイノリティへの教育と生き方も、もう一つの重要なテーマとしてある。映画は、人と違うという事だけでまわりの人々にとっては脅威として映り、攻撃される運命にあるということを明確に語る。主人公演じるベン・アフレックの映画はかなり観てきたが、実は初めて彼が凄いと思った。勿論、「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」も「アルゴ」も最近の「ゴーン・ガール」の演技も感心はしていたが、凄いとは思わなかった。

全ての傑作がそうであるように、先ずファーストタッチであるプロローグが素晴らしい。

彼の会計士としての仕事の描写から複雑な人間性を的確に描き出す。一見寡黙で冷徹に見えるが実は人としての温かみがあったり、しかしそれは彼の或る目的のための方便なのかもしれないとか、そしてどこか誠実そうなのに神秘的な印象でもあり、何故か有り得ない射撃の腕もある。更に極め付きが、彼が仕事を終え自宅のガレージに返って来る車庫入れの異常ともいえるタイミングの描写だ。開いていくシャッターと車のスピードの絶妙なタイミングに彼の尋常でない性格を連想させる。この辺りでもう一気に持って行かれてしまう。あとはこの魅力的な世界にのめり込んでいくだけだ。

凄まじいアクションとスリリングなサスペンスはむしろ深い人間ドラマの彩りのようにさえみえてしまうというこの映画、まぎれもなく近年出色の傑作といえる。誰にでも勧めたくなる映画である。

それにしても、ラストで知る「或る事」には恐れ入った。決して多くは語らない。さりげなく、見落としてしまいそうな「その事」の意外性は、この物語の核心を突き、胸に刺さるのだ。

監督キャビン・オコナーの演出が冴えわたる。

MY評価:☆☆☆☆

2016/2017年  アメリカ 131min  原題/The Accountant

製作・監督/ギャビン・オコナー  脚本/ビル・ドゥビューク  編集/リチャード・ピアソン

キャスト:ベン・アフレック / アナ・ケンドリック / J・K・シモンズ /  ジョン・リスゴー
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映画「グッドモーニング,ベトナム」アメリカ映画のナイーブな時代!


過酷なのにナイーブな時代

ナイーブを人の形にしたら、ロビン・ウィリアムズになる

1978年に「ディア・ハンター」があり、1979年は「地獄の黙示録」。1980年代に入ると「プラトーン」「ハンバーガー・ヒル」「フルメタル・ジャケット」「7月4日に生まれて」そして今作となる。そして、まだまだ沢山の作品がつくり続けられた。

ナイーブな役者はいくらもいるが、今にも崩れそうな脆さを内包する目をした役者はそうはいない。

ロビンはこの時期すでにアルコール依存症に苦しんでいたというが、そんな時期だということも関係してるのか、この映画の彼はとびきりナイーブな面持ちだ。

ベトナム戦争が終わったのが1975年で、この作品が製作されたのが1987年。10年以上を経てなお昨日のことのように作られたこの作品は、つまりこの時期まだ全くベトナム戦争が終わっていないことの証明でもある。10年やそこらでは重大な事が終わった場合はほんのひと時でしかない

アメリカはベトナム戦争の後遺症で苦しんでいた真最中で、ベトナム戦争を題材にした映画は多い。アメリカもまた、とてもナイーブな時代であったのだ。

 

不幸にも時代とリンクしてしまったロビン・ウィリアムズ。

自身の孤独と傷ついたアメリカの不幸とが重なり合い結実したかのようなこの映画は、サッチモの「素晴らしきこの世界」の永遠の歌声にのせて見事に普遍性を獲得している。

心を動かされずにはいられないのである。

1987/1988年公開   アメリカ   121min
原題/Good Morning, Vietnam
スタッフ 監督/バリー・レビンソン
     音楽/アレックス・ノース、撮影/エマニュエル・ルベツキ
キャスト ロビン・ウィリアムズ、フォレスト」・ウィテカー

第60回アカデミー主演男優賞ノミネート
MY評価:☆☆☆☆
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「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」アカデミー会員大好き映画!

映画と演劇のスクランブル交差点にバードマンが飛び回る。

だって、トリ男は何処へでも行くことができるから

バードマンは厄介だ。いつも自分に問いかけてる。

自分の存在価値は?

存在理由は?

それは、やっぱり人から求められることだろう。

それも自分の「愛する人」なら完璧だ。

「愛する人」がいて、求めてくれて、

更に、自分も愛することが出来ればなお良い。

当たり前のようだが、

これが人生難しい。

もう、人間の究極の命題だ。

世の中、それがままならずに様々な犯罪が生まれてしまう。

究極の命題はコンプレックスの衣をまとうと、強烈なスパイスで濃厚だ。

映画と演劇のスクランブル交差点にバードマンが飛び回る。

ブロードウェイを飛び回り、アカデミー会員の間を飛び回り、世界中の業界巡りだ。

そして、私たちの頭の中を飛び回る。

そんな映画。

MY評価:☆☆☆★★★
2014/2015年公開   アメリカ   119min
原題/Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance)
スタッフ 製作・監督・脚本/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、
     音楽/アントニオ・サンチェズ、撮影/エマニュエル・ルベツキ
キャスト マイケル・キートン、ザック・ガリフィアナキス、エドワード・ノートン、
     エマ・ストーン、エイミー・ライアン、ナオミ・ワッツ
第87回アカデミー作品、監督、脚本、撮影賞受賞、他多数受賞
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映画「ジヌよさらば~かむろば村へ~」有り得ない世界観が心地いい!

しがらみ社会から解放された世界とは


人が社会制度のしがらみやお金から自由になるには、巨額のお金持ちになるか、全く持たないかだが、どちらも普通はあり得ない。

この映画は持たない側のユートピアを創造してみせる。

神が随所に現れ、ピエロの役どころのように物語を導く。

人間の煩悩も現実も非現実も、何もかもがカオスのように共存する世界。

あり得ない世界観が、上滑りしそうでしないあたりが真骨頂。

観ているうちに、何とも言えず心地よくなってくる不思議な映画だ。

MY評価:☆☆☆★★
2015公開   121min
監督/脚本 松尾スズキ  原作/いがらしみきお『かむろば村へ』
キャスト 松田龍平、阿部サダヲ、松たか子、二階堂ふみ、西田敏行                  
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「僕の恋人はバイセクシュアル」

 

1973年、僕の二十歳の時の恋人〈S〉はバイセクシュアルだった。

僕の恋人〈S〉は高校時代に同級生の女性〈T〉と駆け落ち心中未遂をしていた。

車で死ぬつもりだったらしいが失敗して、その時の傷が体中に幾つか残っている。 特に左の眉毛は斜めにカットしていてそこだけ眉毛が無く、少し怖い印象を相手に与えていた。ふたりは高校を卒業すると、人生の再出発のため島根の浜田市から大阪に行った。しばらくしてTは勤め先で知り合った男と結婚し、一人になったSは大阪を離れ、東京に出てきた。 僕とSは銀座のコーヒー屋のアルバイト先で知り合った。Sのしゃべるイントネーションと言葉は浜田の港町の荒い言葉に大阪弁が混ざり、切れた眉毛と相まってその強烈な個性に、僕はかなりやられていた。 ある時、Sに「うちの初めての男になってくれへん」と頼まれた。

僕は最初の男に選ばれたことがちょっと誇らしかったが、Sはレズビアンに行き詰まり、ノーマルに挑戦していたのだった。そして互いに気に入った僕たちは、まもなく同棲を始めた。

同棲中、僕に語るべき過去などたいして無かったが、Sは語るべき幾つかの過去を話してくれた。そして、どれほど自分が心中しようとしたTを好きだったか、どほれどTが素晴らしい女だったのかを、寝物語に僕に語って聞かせるのが常だった。そして僕はその話しを聞くのがとても好きだった。Sは僕のことを理解があると喜んだが、僕はSの語るTとの物語を聞くのが楽しかったのだ。

僕たちの同棲のバックグラウンドミュージックは、井上陽水の「傘がない」とポール・モーリアの「シバの女王」だった。

題名は忘れたけど演歌もあって、演歌は苦手なはずなのになぜかその時はその演歌も大好きで、6畳一間の風呂無しトイレ共同のぼろアパートで、安酒を飲みながら二人で一緒になって歌っていた。

毎晩Tの想い出を聞かされているうちに、僕は次第にまだ見ぬTのことを少しずつ好きになりはじめていた。そんな僕をSは察知していてが歓迎もしていた。Tはとてもいい女なのだから好きになるのは当たり前だと言った。でも、僕は密かに後ろめたかった。

 

その年の夏、僕たちはSの二人の母親に会いに広島と島根に行った。

僕たちはまず実母の暮す広島の家に数日間滞在した。その時のSは少し威張っていた。実母夫婦は遠慮気味に静かに僕たちを迎えた。僕たちは当然のように一つの部屋をあてがわれたので、まだ二十歳になったばかりなのにまるで夫婦になったような気がしてすこし居心地がわるかった。

次にSの継母の怪物(Sは継母を怪物と呼んでいた)に会いに島根のSの生家に行った。Sは今度は少し荒れていた。家族は僕が一緒なので戸惑いつつも歓迎してくれていた。釣りや海岸での花火大会やら、いくつかの光景は鮮明に思い出すことができる。

ある日、SとTがよく歩いていたという浜辺に僕たちは行った。散歩をしながらTのことを話していたら、浜辺の向こうに僕たちに向かって歩いてきているTがいた。

大阪に居るはずのTと東京に居るはずのSが、生まれ故郷の想い出の浜辺で偶然出会ってしまうって、いったいどういうことだろう。

TとSと僕の3人だけが、そこに居た。

混乱していた。

どんな会話があったのか、全く覚えていない。

ただ互いに驚きと戸惑と、SとTとのふたりの間に熱い空気が行き場もなく流れ、そして砂浜と僕等3人の足元を洗う波の音が静かにリフレインしていた。

あまりにも劇的な瞬間は、何気なくやってきて何気なく去っていく。

1週間ほど滞在して東京に帰る日、「再会」という名の喫茶店で、僕たちはまた偶然Tに再会した。都合良すぎる偶然と喫茶店の名前にさすがに唖然としたが、現実は出来過ぎた偶然でも何事もなかったかのように受け入れるものらしい。

ある日突然、Tが東京のぼくたちの暮すアパートにやって来た。

TはSと同様にノーマルに生きるために大阪で男との結婚に挑戦していたのだが、一年程で離婚していた。本物のレズビアンだったTは元々無理だった結婚に疲れ果てて、東京にやって来たのだった。Tはちょっと粋なお土産を持ってやって来た。それはTが使うことのなかった訪問販売で買わされた大量の高級コンドームで、Tはすこし恥ずかしそうに、僕たちで使えと言った。なんだか僕は哀しかった。きっとTはとても強く何かを決意し、何かを期待し、とにかく頑張ったんだなと思った。

そして、3人で少しの間だけ一緒に暮らした。でもそのコンドームを使った記憶はない。

その後Sと僕は2年の付き合いに終止符を打ち、別れた。

別れは、修羅場だった。

濃密な2年間は濃密な別れを必要としたのだ。

が、とにかく別れた。

しばらくしてから、僕はどうしてもTのことを忘れることができず、なんと僕は別れたSに相談した。案の定、Sはこんな僕はバカにしたりはしなかった。

僕は、Tに告白した。

そして、きちんと振られた。

当然だ。Tはとてもいい女なのだから。

Tは人間として僕を振り、レズビアンとして僕を振った。

僕は二度振られたらしい。

僕はTにもSにも恥ずかしかった。

僕はよくわかっていなかったのだ。

もしかしたら、大丈夫なんじゃないか、なんて思っていたのだ。

何が大丈夫なのか?

僕はいつも、何だか、何でも、大丈夫なんじゃないか?と思っていたふしがある。

でも大丈夫じゃない事はいくらでもあるものだ。

僕はようやく自分の事や周りの人たちの事や様々な事が見え始めてきていた。

未熟で愚かな僕は、Sと別れたこともすべてを後悔していた。

僕はSとTの間を楽しく泳がさせてもらっていただけなのだろう。

恥ずかしかった。

ずいぶんと間抜けな話だ。

それ以来二人には会っていない。

そして、僕は今でもSとTのことをいい女だったと思っている。

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LGBT、Xジェンダー、人は違って当たり前!

誰だってどこか違っていて当たり前。

人種の違い、肌の色の違い、性別の違い、人間は色んな種類に分かれて生まれてくる。

そして、どの人間も何処かに所属し、何処かに分類されいてる。

LGBTとは、性的少数者を限定的に指す言葉だが…

LGBTとは性的少数者を限定的に指す言葉だけど、語源というか由来はレズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称であって、他の性的少数者は含まないらしい。

例えば男にも女にもなりたいわけじゃない「Xジェンダー」

XジェンダーはLGBTの枠からはみ出ているため、その枠からも疎外感があるという。

とかく子供から大人まで、まんべんなくどの世代もいつの時代も少数派を攻撃し、自分は多数派の中に埋没しようとする傾向は、程度の違いこそあれ世界中あまり変わりがないようだ。

まったく人間とは面倒な生き物だ。

厄介極まりない動物だ。

何故なら、人はややもすれば、すぐに区別し、差別し、排除し、攻撃するからだ。

しかもその理由は様々に複雑で深刻だ。

複雑怪奇な構造なくせして単純馬鹿なのが人の性(さが)なのか?

もっと単純になれたらいいのにという単純な思いは、

複雑怪奇な

人の心の闇に

消えていく…

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映画「フリア よみがえり少女」スペイン産謎解きサスペンス

ホラー風味のスペイン産サスペンス

思わせぶりの展開と観る者を惑わせる演出がポイント

思わせぶりに、人間関係をじっくり描くことで、謎解きの興味がそそられる。

スペインとサスペンスはとても相性がいい。

国民性なのか、もはや伝統の技。

スペインサスペンスに外れ無し。

いつの時代も、映画初出演の子役は凄いもの。

マヒカ・ペレス、末恐ろしい!

MY評価 : ☆☆☆★★
2012年公開   スペイン   96min   原題 Dictado
製作/監督/脚本    アントニオ・チャバリアス
キャスト        ファン・ディエゴ・ポト、バルバラ・レニー、マヒカ・ペレス
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映画「わたしは生きていける」今、戦争について思う!

  舞台は現代、イギリスで勃発する    核爆弾による「第三次世界大戦」

大見得切った反戦映画ではない

思春期の少女、少年たちのひと夏のバカンスの始まりが、実にみずみずしいタッチで描かれるなか、突然の戦争のただ中に放り込まれ、無残に散る命を目の当たりにしていくことになる。

眩いばかりの川辺で一瞬だけ見せた少年の背中の傷跡は、父親からの日常の暴力にさらされている生活を匂わせる。唯一の心のよりどころの飼い犬を殺された少年が見せた思いがけない怒りの激しさは、少年の心の傷の深さを活写し、直後に空しく散っていく。

屈託のない明るくけなげだった弟君の死の描写は、あまりにも残酷だ。

更に、ピクニックのさなかの原爆の描写や、どこまでも幸福感に満ちた田舎の生活が突然の銃弾の嵐で破られるシーン等、全てのエピソードに異常ともいえる落差の激しさがあり、その激しさが戦争の本質を突いてくる。

悲しみの度合いも落差が効いていて、心に刺さる。

その瞬間、反戦の色合いを映し出す。

実は、この映画、突っ込みどころ満載で、いろんな否定的な意見が飛び交う。

思うに多分、ベストセラーとなったらしい原作は良く出来ているような気がするが、映画となると「落差の演出」に観客が付いてこれない程の思い切った展開なのだ。

ロマンスかと思えば、反戦映画?どっちなの?みたいな中途半端な印を印象与えてしまう危惧があるつくりは、やはり総体的な支持は難しかったようだ。

とはいえ、現在に於いて実にタイムリーな反戦映画になっていて、ディテールもとてもよく計算されていて全体的な印象と異なる細やかな演出が見事な作品だった。

そして、シアーシャ・ローナン演じるヒロインの少女は、自己嫌悪と自己否定の嵐を乗り越え、「悪いことは蓋をして、上を向いて進んでいくしかない。今がその時」と言い、戦争の残酷さをも正面切ってぶつかっていくサバイバルなタフネスさが美しい。

(WOWOWにてTV初公開)

MY評価 : ☆☆☆★★
2014年公開  イギリス  101min  原題 How Live Now
 監督/ケビン・マクドナルド
 キャスト/シアーシャ・ローナン 
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映画「ジャージー・ボーイズ」不良がつくった名曲たち

 

過酷な人生から生まれた名曲の数々

手練れの職人クリント・イーストウッドが描く

ニュージャージー育ちの不良たちの過酷な人生模様と

心に染み入る名曲の数々で描いた傑作。

それにしてもジョン・ロイドの歌は

本人より上手くないか?

 

MY評価 : ☆☆☆☆
2014年公開   アメリカ   134min   原題 Jersey Boys
監督/クリント・イーストウッド、撮影/トム・スターン
キャスト/ジョン・ロイド・ヤング、クリストファー・ウォーケン

 

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世界はこんなに広いのに、人はみんな何かの箱の中!

毎日のニュースや事件を見ていると、つくづく思う…

人はみんな何かの箱の中で生きてるんだなぁって……

人はみんな違っているけど、その違ったままに自由に生きる事は、なかなか困難だ。

人は大抵どこかに所属して生きている。

組織とか或は仕組みと言ってもいいが、そういった箱の中に入っている。

会社という箱、或は経済という仕組みの箱、学校という箱、家庭という箱、子供、親、兄弟、友達、仲間、上司、同僚、部下、エトセトラ…エトセトラ……

そして自分という箱。

それらは幾重にも複雑に絡まり合う。そして、箱にはひとつひとつその箱なりのルールがある。

それなのに、人は自分らしくいたいものだから厄介だ。

何故なら、人は自分なりの嗜好やら考え方やらがあって、そういうこだわりみたいなものに縛られていると言ってもいいからだ。

そういったものは元々箱の中には入りきれないものなのだから。

ストレスとは、自分自身と様々な箱との差分である。

箱にはいろいろあるから、当然差分の種類もいろいろで、ストレスもいろいろだ。

世界はこんなに広いのに、人はいったい何をやっているのだろうか?

なーんて考えたりすることもあったりして…

なんちゃって!

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映画「氷の接吻」陶酔こそ映画だ!

何故、こんなにも、この映画が好きなのだろう?

今まで何度も観た映画なのに、ネットの無料動画で発見して、久しぶりなので思わず連続で2度も観てしまった!

アシュレイ・ジャッドがあまりにも魅力的だからだろうか?

ユアン・マクレガーが初々しく、懐かしいジュヌビエーブ・ビジョルドが感銘的な演技を見せるからか?

的確で魅惑的なカメラワーク、アングル、編集、そして感情をかきたてる効果音ともの悲しいバラードのアンサンブル。

物語は極めてインモラルだが、その世界に意味を持たせたり肯定したりはしない。

それはこの物語を効果的に描く背景なのであって、決してそれ以上ではないからだろう。

魂に傷を負ってしまった男と女の運命定な出会いを、ひりひりするようなスリルとサスペンスの中で描かれるのは、やるせなく切ない陶酔の愛の物語の顛末である。

つまりは一流のサスペンスに彩られた魂の再生物語なのだ。

おまけに極め付きのラブストーリーなのだから、たまらない!

陶酔こそ映画だ!と思わせてくれる希少な映画である。

MY評価:☆☆☆☆

1999年製作・2000年公開 アメリカ 107min 原題/Eye of the Beholde

監督・脚本/ステファン・エリオット 原作/マルク・ベール

撮影/ギイ・デュフォー 音楽/マリウス・デ・ブリーズ

キャスト

アシュレイ・ジャッド、ユアン・マクレガー、ジュヌビエーブ・ビジョルド
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女性と移民の2018年アカデミー賞!

ハリウッドが変わる?

かもしれない!

移民や女性がつくった映画だって面白い映画ができるし、ヒットもする。

アニメやマーベルコミックでなくてもいいんだ。

そんな機運が顕在化した記念すべき年であったのかもしれない。

ワインスタイン追放、そして…

冒頭からセクハラの代名詞となったワインスタイン追放の連呼で始まった。

あきらかにセクハラ追放は大きなテーマとなり、女性や移民の差別意識がアカデミー会員の投票に結果として現れた。

一番意外だったのは、脚本賞の「ゲット・アウト」の受賞だ。黒人差別がテーマではあるが、ホラーサスペンスのテイストであるため、大ヒットはしたがまさか受賞とはならないだろうとう大方の予想を裏切った。

とは言え、それ以外は久々の順当の結果だった。まんべんなくばらけた受賞となったことも珍しい。

「シェイプ・オブ・ウォーター」の監督と作品の受賞は怪獣映画の夜明けだと言う人もいたが、むしろロマンティック・ファンタジーというべき作品であり、その完成度の高さから受賞すべき作品が受賞した印象だ。

一番印象的だったスピーチといえば、主演女優賞をとった「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドの女性の候補者全員に立ち上がることを呼び掛けてその少数さをアピールしたことだろうか。メリル・ストリープを筆頭に嬉々として立ち上がっている様は、彼女たちが今まで並々ならぬ戦いをしてきたことを想像させるシーンであり、今年のアカデミー賞を象徴することになった。

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2018年グラミー賞!アメリカは分厚かった‼

アメリカは分厚い!これが今年のグラミー賞で思わず出た言葉だ。

この分厚い壁、分厚い混沌、分厚い抵抗、分厚い競争、この分厚さから抜け出て来た才能集団がここにある。

並大抵でない個性の煌めき。

特別に個性的なことこそがクールなのであって、人と同じでは意味のない事。人と違ってこそ意味を持ち始める。

ブルーノ・マーズの楽しさとカッコ良さはたとえようもない!

と思ったらスティングの登場!また別物の比類ないカッコ良さは超クール!

ピンクの意外にも歌の力のみの凄み。言い出したらきりがない。

セクシャルハラスメントはもう終わりだ!タイムズ・アップ!と力強く訴えたケシャとシンディー・ローパー達女性軍。

ひとり、さりげなくタイムズ・アップと呟くレディ・ガガ。

魂を壊された者たちの叫びだ。

同様に胸に刺さる。

あらゆるマイナスをプラスに転化する力強いベクトルこそ音楽、そしてグラミー賞の本質なのか。

あらゆるジャンル、あらゆる国、あらゆる肌の色、あらゆる性別、あらゆるマイノリティ又はマジョリティ、あらゆる主義主張がここではサイコーのパフォーマンスで堂々と披露される。全てがここにあるかのようだ。もちろん古今東西音楽だって政治から逃れられない。圧巻のパフォーマンスのスタンディングオベーションに平然と座り続けるアーティスト達もいる。何でもありだ。まるでカオス。

冒頭で現代の黒人を代表するコメディアンのデイヴ・シャペルは言う。「アメリカで黒人が正直に生きるのを見るのは恐い。正直な黒人として生きるのはもっと怖い」

それにしても何時からこれほどソウル、R&Bとヒップポップの天下になったの?

もはや白人だけではほんの一握りの狭いシーンを形成するだけだ。様々な人種で作り上げているヒップポップやR&Bこそが主流となったことこそが今を如実に表している。

象徴的なのが、ケンドリック・ラマーで始まり、ブルーノ・マーズで締めくくったことだ。

それにしても、まさかこんな時代が来るとは!

それにしても、大勢の黒人たちが撃ち殺されていくパフォーマンスをしていまうとは!

それにしても、ヒラリー・クリントンまで登場させてトランプ大統領をおちょくるとは!

それにしても、みんなエルトン・ジョンが好きだよね。

それにしても、凄いリアーナのエロカッコ良さ!

それにしても、司会者が腰を抜かさないでと言ったパティ・ルポーンの腰を抜かすほどの圧倒的歌唱力!

それにしても、ジェイZが全て落ちるとは!昨年の彼の妻ビヨンセの再現を誰が予想しただろう‼

それにしても、あらゆるそれにしても、があるのがグラミーなんだね。

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映画「マジカル・ガール」震撼する予測不能の物語!

近年これほど触発された映画もない!

監督は若干36歳だって!

自由で豊かな視線は、まるで成熟し老成した大人とラジカルな青年のコラボレーションのようだ。

人生にはあらゆることが起こり得る。

しかし、運命は皮肉な必然となって我々の前に立ちはだかる。

そう!まるで必然かのように…

本当の事って、こんなもんだろ、と言うように。

悲劇も喜劇も、常識と非常識も、全ての概念が同一の世界に同等に並ぶ。

それが、本当の我々の世界だ、と言うように。

したたかで気の利いた伏線に彩られた予測不能の物語に、僕はひきずり回される。

そして、衝撃のラストに、震撼する。

この映画を観た後では、 もう! あらゆる事が違って見えてしまう‥‥。

MY評価:☆☆☆☆

2014製作/2016公開 スペイン/フランス 127min 原題/Magical Girl

監督/脚本 カルロス・ベルムト

キャスト/バルバラ・レニー、ルシア・ボシャン、ホセ・サクリスタン、ルイス・ベルメホ

2014年サン・セバスチャン国際映画祭グランプリ/監督賞受賞
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「アトミック・ブロンド」泥臭いアクションが新鮮!

シャーリーズ・セロン大暴れ

この映画の最大の見せ場はアクションにある

何故なら、最後の最後まで観客を裏切る脚本は、やればやるほど凡庸だからである。

驚くほどにスパイ映画として新味が無いからだ。

シャーリーズ・セロンが思いっきり暴れまくるのを見るだけでいいのかもしれない。

彼女の魅力をアクションからとらえる試みは既に「マッドマックス 怒りのデスロード」で成功しているが、今回のアクションは一味違っていた。

唸り声をあげつつ思い切り振りかぶってから殴る蹴るの大立ち回り、七転八倒、阿鼻叫喚。

洗練さからは程遠く、泥臭いほどの肉弾戦の趣きで、そこがむしろ新鮮だ

ただし、「ジェイソン・ボーン」シリーズの様な切れ味鋭いアクションやデンゼル・ワシントンの「イコライザー」の様な簡潔かつ流れるようなアクションの演出を目指している所も垣間見えるのである。

しかし、そこまでのクウォリティーには程遠かった。

カメラと編集がいくら頑張っても俳優の肉体がついていけてない。

そうなればもうやれることは一つ。開き直って人間臭いくんずほぐれつのアクション路線をいくしかない。だからなのか双方混在のアクション映画になっていて、ボーンを真似たシーンはそりゃさすがにダメだろという感じの粗が目立ち、肉弾戦の方にはそうかもしれないなといったリアリティーがあり、その結果、映画全体のバランスを崩している。

まあ、シャーリーズ・セロン・ファンの身からすればそれなりに楽しめるのだが、なにしろ映画の出来がいま一つなものだからやっぱり物足りない。

ちょっと余談だが…

あらゆる修羅場をくぐり抜けた後のボロボロになった彼女が氷風呂で回復するシーンで、ハガネの様な筋肉の鎧をまとった傷だらけの背中がほれぼれするほどカッコいいのだが、どう見ても彼女のそっくりさんだったということはその後のシーン等でバレバレでした。

うーん、残念!

MY評価:☆☆☆★★

2017年   アメリカ   115min   原題/Atomic Blonde

監督/デビット・リーチ

原作/アンソニー・ジョンストン&サム・ハート『The Coldest City』

キャスト/シャーリーズ・セロン(製作)、ジェームズ・マカヴォイ、ジョン・グッドマン
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映画「ジェイソン・ボーン」やっぱりボーンはカッコいい!

渋くなって帰って来たジェイソン・ボーン

ボーンシリーズ最大の魅力はボーンの先を読む力と判断力にある

予想外の様々なことがボーンの身の上に起ったときの彼の行動や動きが見事に的確でカッコいい。

今ある危機を切り抜けるために、状況を瞬時に把握し、次に起こる事を予測し、その先を行くボーンの判断力が爽快だ。

私たちの現実の状況判断や行動は遅遅刻々とすることばかりだが、映画の彼はいとも簡単に颯爽とやってのける。

アクションに於けるボーンの動きはまるで条件反射のように危機に対応し更には次々と襲ってくる攻撃を予測して対応する。全てのあらゆる危機に完璧に対応できるそれは無敵のヒーローでもあり、極めて優秀な無敵のビジネスマンのようでもある。

どんなことも慌てず騒がず沈着冷静にまるだ想定内かのように対応するボーンの姿に、僕たちはカッコいい男の理想をみるのだろう。

今回の題名はそのものずばり「ジェイソン・ボーン」。まさにボーンそのものがテーマということだ。

今や体もいささか丸みを帯びてかなり分厚くなってはいるが、動きは相変わらず素早くむしろ繰り出すパンチなどは重く必殺で、以前より凄みを増している。

9年ぶりの新作でシリーズ第5作でこれがシリーズ最後かと思いきや、ラストシーンを見る限りまだまだ続きそうな気配もあり、ファンとしてはまた次回作を期待してしまう。

それにしても、お馴染みのエンディングのテーマ曲、随所に流れる効果音、それにリンクするカメラワークなどのもはや定型となったレベルの高さは007シリーズ並みで、そこがファンには堪らない魅力になっている。

まだまだ続け!

ジェイソン・ボーン!

 

MY評価 ☆☆☆★★★
2016年   アメリカ   123min   原題/Jason Bourne
監督/脚本  ポール・グリーングラス、

キャスト/マット・デイモン、トミー・リー・ジョーンズ、アリシア・ビカンダー、

バンサン・カッセル、ジュリア・スタイルズ

 

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映画「サムライ」虚無とセンチメンタリズムの甘美な香り!

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香り高きセンチメンタリズム

ブルートーンの世界は孤独の香り

監督ジャン=ピエール・メルビルのブルートーンの世界が冷たく冴えわたる。

「サムライ」はフィルム・ノワールの代表作だが、メルビルとアラン・ドロンの代表作でもある。

アラン。ドロンの魅力は大きく二つに分かれる。

ニヒリズムと情熱である。

「太陽がいっぱい」「冒険者たち」に代表される情熱。

「高校教師」「さらば友よ」「仁義」そして「サムライ」のニヒリズム。

ニヒリズムの基調はハードボイルドだが同時にセンチメンタリズムの基本でもある。

もし、男らしさというものがあるとすれば、ハードボイルドほど似合うものはないだろう。

良い意味での男の本質だけがあって、余計なものが一切ない。

だから男は自分に無いものを求めて、あこがれるのだろう。

自己犠牲のラストシーンは伝説となり、以後様々な分野にコピーが氾濫した事を思えば、もはや古典なのだろう。

自己犠牲は甘美な残り香を漂わせ、見事に散っていく。

 

MY評価 : ☆☆☆☆★
1968年公開   仏/伊   105min   原題 Le samour 
監督     ジャン=ピエール・メルビル
撮影     アンリ・ドカエ
キャスト   アラン・ドロン、ナタリー・ドロン、フランソワ・ペリエ
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映画「特捜部Q Pからのメッセージ」絶望の果ての希望とは?

芳醇なワインは今やオリ(澱)が瓶の底に沈殿している

「特捜部Q檻の中の女」の感想で、芳醇なワインのような作品だと以前に書いた。

このQシリーズの1作目だ。2作目は「キジ殺し」で今回は3作目になり、作品世界も濃度を増し今では澱が瓶の底に沈殿しているかのようだ。

3作目の刑事カールは、1作と2作の捜査で疲れ果ててしまい、ポンコツになりかけている。助手のアサドが主導しカールが助手のようについていく。もともと心に深い傷を持ち神も仏も信じていないカール自身の心の闇が、今回のテーマに深く関わっていく。

今作のテーマは信仰心と絶望、または希望である

原作は北欧の権威ある文学賞「ガラスの鍵賞」を受賞した「Pからのメッセージ」ということで、3作目の今作はとりわけ絶望の闇が深い。カールの負った心の傷は彼の手を絶えず震わせるのだ。

ポンコツ刑事になり下がったとはいえ、元来の敏腕ぶりも発揮して犯人を追い詰めていくのだが、いかんせんポンコツなので簡単に犯人の手に落ちてしまうところは観客の興を削ぐ展開だが、そこ以外は非の打ち所が無い。

カールは相変わらず無神論者なのかもしれないが、映画の終わりの方で犠牲者を弔う賛美歌に嗚咽しながら歌うのだ。そして言ったのである。

「だが、それでいい」と。

そしてラストでカールが公園で遊んでいる子供達を見てアサドに言う。

「子供を見ながら、無知な奴らだと思っていた」

「夢なんか持って、何も分ってない」

「だが、それでいい」

映画はカールの顔をとらえて終わる。

絶望の闇の遥か向こうに灯った一筋の光を、彼は見たのかもしれない。

きっと、カールは希望へのかすかな手がかりを感じたに違いない。

そう思わずにいられない簡潔にして余韻の残る秀逸なシーンであった。

奥深い作品だ。

MY評価/☆☆☆★★★

2016/2017  デンマーク・ドイツ・スウェーデン・ノルウェー合作  112min

原題/Flaskepost fra P
監督/ハンス・ペテル・モランド 、原作/ユッシ・エーズラ・オールスン
脚本/ニコライ・アーセル

キャスト/ニコライ・リー・カース、ファレス・ファレス
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生テニスの衝撃!2017年 楽天オープンテニスを観て来た!

生観戦はいつもビックリ発見がある


楽天テニスは、先日観たジャパンウーマンズオープンテニス(JWO)に続いて今年2度目の生テニス観戦。

生で観戦するたびに思うことは、テレビで観るのと実際の違いの大きさだ。

JWOでは加藤未唯とカザフスタンのザリナ・ディアスが強く印象に残ったのだが、決勝がまさかのこの二人。

テニスの技術的な言い方で「素早くボールの後ろに入れていた」だからいいショットが打てたという言い方あるが、加藤未唯選手を見て初めてその言葉の意味を理解した、と思った。わかっているつもりでいたことが、加藤選手のプレーを見て、突然理解した気がしたのだ。言葉で説明しにくいことだから、イメージすることが出来たと言い換えてもいいのかもしれない。イメージ出来ると、そのイメージを持ってプレーすることで自分のプレーが良くなっていく。イメージできちゃってラッキーって感じだ。これだから生観戦はやめられない。

ディアス選手はサーブのフォームは衝撃的だった。早目のテイクバックなので、あとは振り抜くだけの極めてシンプルなサーブ。しかしそのテイクバックが凄い。ラケットの位置がトスした腕に対して普通は対極の180度ぐらいにあるのだがディアス選手は最初から200度ぐらいで、更に打つ時に30度から45度ぐらいまで後ろに引っ張る。そして戻す反動を利用して一気に振り抜く。目の前で見ると、反則だろというぐらいえげつない力強さだ。コンパクトさとパワフルを両立させている理想的な打ち方といえる。だが下手に真似をすると背中を痛めてしまうし、そもそもかなりの柔軟さと筋力がなければできないフォームなので完コピは危険だ。

楽天テニスではティームとアルゼンチンのシュワルツマンの二人


自分はティーム選手のサーブを参考にしているのでよく観察しようと思って見ていたら、あまりにテレビと違うイメージなので驚いた。特徴的なところは体を反らせるテイクバック。ラケットをかなり背中の後ろにセットするのだが、その時ラケットは一瞬止まっているというイメージだった。だが実際はスムースにキレイにラケットは回っていた。そこで重要なポイントはゆったりと背中側で回されたラケットが足で地面を蹴るエネルギーが体の回転となって、いわゆるキネティックチェーンというやつだが、凄まじく速いラケットのスウィングスピードに変換されていくところだ。やはり速いスウィングスピードの実現はラケットは止まらない方いいのだろうか?選手によっていろいろだろうが、厳密に言えば多分ラケットは動いているとは思うのだが、テレビでは一瞬止まって見えていた。しかし、普通に回っていた。テイクバックでラケットが一瞬止まって見えるサーブを打つ選手はいくらでもいるが、もしかしたらテイクバックで脱力するゆっくりな動きからパワーをためるその一瞬の間が、止まって見えているイメージをつくっているのかもしれない。

いずれにしても、やっぱり実際に見ないとわからないのだ。

シュワルツマン選手は、とにかくボールが速くて確実でミスが無く、その安定度が凄まじくスゴイ。強打しているのにミスが極端に少ない。テニスのプレーにおいてこれほど理想的な事もない。しかもシュワルツマンはとても小さい。多分公証の170㎝はないと思う。テレビ解説でも同じことを言っていた。あの身長でサーブはチョット力を入れて打つと楽に180キロ後半を出す。アルゼンチンの生んだ天才はデルポトロとシュワルツマンの二人だ。

これが今年の生テニスの衝撃でした。

それにしても、錦織圭の居ない楽天はいまひとつ盛り上がらない。来年こそ錦織選手の戦う姿が観たいものです。

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映画「二重生活」興奮の禁断尾行!

スリリングで刺激的な傑作

誰でもいい。誰かを尾行する興奮!

大学の哲学科の修士論文として教授のリリー・フランキーに勧められるままに尾行を始めてみた門脇麦ちゃん。哲学的尾行?らしい。

それじゃバレバレだろっていう幼い尾行はさて置くとして、自分と関係のない人を不特定的に任意に選んで尾行してしまうわけだが、「尾行する」という行為は見ているこちらの方もなんだかゾクゾクするような興奮と快感が伝わってくる。何故なら、人を尾行するということは、つまりこれは禁断の行いだからだ。言い換えれば、普通はやっちゃいけないこと、となる。
「尾行」という行為の特異性は、人の日常を覗く行為にある。日常には様々な秘密が潜んでいることが多いから、何かしら人に知られたくないことも見えてしまうことになる。やはり禁断の行いなのだ。

スリリングでエロい映画

門脇麦と菅田将暉のベッドシーンが無機質でセクシーさのかけらもないのは、意図的なのかもしれない。つまりこの映画のトーンがとってもセクシーでもっと言えば素晴らしくエロいからだ。セクシーで映画的なエロさを引き立てるためにも、セックスの快感との対比が必要だったのだろう。

ドキュメンタリータッチのようなカメラワークの演出も的を得て刺激的だ。スリリングでサスペンスフルな雰囲気を作ることに成功している。

この監督、ただ者じゃない。

 

MY評価 ☆☆☆★★★

2016年公開   126min

監督/脚本 岸善幸  原作/小池真理子

キャスト/門脇麦、長谷川博己、リリー・フランキー、菅田将暉

第 14 回ウラジオストク国際映画祭  
最優秀監督賞(Best Director)
最優秀女優賞(Best Actress)W受賞
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映画「ドリーム」胸すく黒人女性の活躍!

差別と偏見に負けない天才の根性



アメリカとソ連の国家を挙げての宇宙開発競争が行われていた1960年代。

一丸となって戦わなければならないのに、黒人への差別と偏見により一丸となれない分だけソ連に先を越されていたのかもしれなかった。

そこへ人種の壁を突き破って登場したのが黒人の天才3人組の女性たちであった。

NASAをそしてアメリカを救い支えたのは彼女たちの力がどれ程大きかったのかという物語というか実話なわけだが、それにしても、これほどの天才であっても差別と偏見の壁を突き破ることは並大抵ではなく、不屈の意志と勇気を持ち続けなければならなかった。その障害は黒人社会の方にもあって、亭主や周りの環境は突出する存在を恐ろしいと感じることは当然だし、彼女たちはあらゆる面で戦わなければならなかった。

まさにパイオニアである。

映画は所々にユーモアを交えながらキビキビした編集で的確にストーリーを展開していく。

リズム感のある見事な演出だ。

そして何より素晴らしいのは彼女たちを演じる女優たち。

脚本がいいのは言うまでもなく魅力的に描き込んだ女性像ではあるが、やはり演じる3人の女優の魅力がイコール映画の魅力となっている。

主役キャサリンを演じるタラジ・P・ヘンソン、脇で実力者オクタヴィア・スペンサー、歌手のジャネール・モネイは全米俳優協会賞の最優秀アンサンブル賞、オクタヴィア・スペンサーはアカデミー助演女優ノミネート、更にアカデミー作品賞、脚色賞ノミネート。

MY評価 ☆☆☆★★★

2016年   アメリカ   127min  原題/Hidden Figures

監督/脚本 セオドア・メルフィ、原作/マーゴット・リー・シェタリー『Hidden Figures』(隠された数字)


キャスト/タラジ・P・ヘンソン、ジャネール・モネイ、オクタヴィア・スペンサー、ケビン・コスナー
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舞台「ビリー・エリオット」感動の輝ける少年!

物語の少年の成長と舞台上の少年の成長がシンクロする妙!


原作は言わずと知れたあの傑作映画「リトル・ダンサー」

炭鉱町とバレエダンサーの対比が物語のエナジーを増幅させる。

不況の嵐と戦う炭鉱夫たちとバレーに魅せられたビリー・エリオット少年は、決してくじけない魂に於いて同質の覚悟を胸に秘めているのかもしれない。

映画の世界は、ビリー少年の夢を追い求める純粋な気持ちと勇気が、観る者の魂を震わせる。

舞台版はミュージカルである。物語の中のビリー・エリオット少年が、舞台上で歌い踊り芝居をする生身の少年とシンクロしていく様はドキュメントのようにリアルな体験を観客はすることになるのだ。映画とは全く違うテンションで物語は展開し、舞台特有の楽しさが弾ける。観客はさながら子を思う親であったり、アイドルを崇める少年少女のように一種異様な盛り上がりをみせる。舞台と観客が独特な一体感をもってエンディングまでなだれ込む。

冷静に評価すれば、前半のインターミッションまでのエネルギッシュでダイナミックな構成は観客の楽しさを頂点まで盛り上げてしまうため、後半の展開はいささか物足りなさは否めない。

そういった演出上の問題点はあるが、この舞台はビリーを演じる少年の舞台上での成長を観客が共感し、楽しみ、感動することを目指しているのだから、多少の事には目をつぶるのである。

輝く少年を観て、心を動かされないはずがないのである!

 

MY評価 ☆☆☆★★★

2017公演   赤坂ACTシアター
  
 脚本・歌詞:リー・ホール
 演出:スティーヴン・ダルドリー
 音楽:エルトン・ジョン
 振付:ピーター・ダーリング

キャスト/山城力(5人のビリーのひとり)、(以下ダブルキャスト)益岡徹、島田歌穂、根岸季衣
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映画「スティーヴン・キング ビッグ・ドライバー」一般公開無理な映画!

復讐のカタルシスは快感!

一般公開は絶対無理な映画って、意外にオモシロイ

殺される悪人は徹底的に忌み嫌うべき悪人でなければならない。

この映画の悪人達は計画的に女性を拉致し、強姦し殺して捨てることを繰り返している。そしてその行為をビデオカメラで撮影して楽しんでいる。息子たちに禁断症状が出始めると母親が息子たちの所へ獲物を送り込むのである。このあたりの描写が俳優も含めおぞましく描かれているために、彼等への感情移入ゼロ状態を作る出すことに成功している。

映画の主人公は殺人事件専門のミステリーの女流作家であるが、作家は一風変わっている。作家の話し相手は、AI機能の優れた車と小説に出てくる実在しない妄想の女性探偵たちである。車や彼女たちは作家を守る存在で、それが現実のようにリアルに登場して会話をするという奇妙な仕立てになっていて、これが実に楽しい。悲惨な殺しの現場も現実離れした様子になりユーモラスですらある。上手い演出だ。

女流作家は危機一髪で生き延びると、復讐に燃え、見事にやり遂げる。つまり3人を殺害するのだ。証拠を残さずキレイに殺し、次の作品のネタとするのである。

観客は殺人を行う主人公の気持ちになり、完全犯罪を望むのだ。殺人というモラルのハードルはこの際いとも簡単に越えていく。娯楽映画だし、楽しいし、笑えるし、爽快だからだ。

この映画はスティーヴン・キングが原作なので恐ーいスリラーを期待した方はがっかりかもしれない。しかも普通は綺麗なお姉さんが主人公だが、この場合したたかな中年女性である。とにかく地味でヒットする要素のかけらも見いだせないのだ。いわゆる一般公開は絶対無理な映画だが、意外にオモシロイ映画が多いのである。

この作品もその一品!

ポップコーン片手に観る感じで、オススメです。

MY評価 ☆☆☆★★★

2014年製作/2015年レンタル  アメリカ   88min   原題/Big Driver

監督/ミカエル・サロモン、原作/スティーヴン・キング

キャスト/マリア・ベロ、オリンピア・デュカキス
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「ミュージアム」救えない映画!

つくっちゃいけない映画もある


いや、正確に言うと作り方が問題なのだ。

全く救いの無い映画の代表的傑作「セブン」からまるまる触発されたことはわかり過ぎるほどで、実は観る前から嫌な予感はあった。そして観た後では予感以上の嫌悪しか残らなかった。これは、コミックの原作と演出の共同作業で犯した酷い間違いなのだ。

「セブン」の世界観に似すぎてはいるが、あまりにも似て非なるものになってしまった。

しかし良いところもある。俳優たちの情熱と存在感のある演技はこの映画をどれだけ救っていることだろう。それだけで映画を引っ張っていたと言ってもいいぐらの印象だ。

猟奇的連続殺人事件という映画のジャンルとして確立している王道サスペンスなのだが、どれほどシリアスなドラマを背景に持ってきても、いずれも類型的過ぎて説得力やリアリィーが決定的に欠けてしまっている。犯人の行動の目的が「作品作り」で、その理由が幼い時の「トラウマ」で、自分の「ミュージアム」を作るという一見奇抜な発想も見事に陳腐にならざるを得ない。だがそこは原作の設定なのだから、監督はその上で何か自分なりの思いや世界が無ければ映画を作る意味がない。この映画を観た後に思うことは、この監督は何も言いたいことが無かったのだろうというのが率直な感想だ。まあ、そうとしか見えなかったことが問題なのだろうが……。

であれば、むしろホラー映画に徹底すれば良かったのだが、何かを言おうとしているつくりなので結果はイメージを追いかけただけの印象となってしまった。

そうなると趣味の悪過ぎるコメディーならぬ、えげつなさに彩られたシリアスで楽しめない娯楽映画ということだけが残ってしまったのである。

MY評価 ☆☆☆(小栗旬の好演でオマケ評価)

2016年公開  WB配給  132min 
 
監督/脚本  大友啓史

キャスト  小栗旬、妻夫木聡、尾野真千子、野村周平
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映画「三度目の殺人」誰も本当のことを言わない!

此処(法廷)では誰も本当のことは言わない。ここでは誰が彼を裁くのですか?


ハリウッドの裁判映画をどれ程観てきたことか。にもかかわらず、今まで全く知らなかった法廷審議の映画になっている。

もちろん本題は他にある。人間の語る真実の危うさと実際の真実との挟間で揺れ動く人間のドラマが本題である。

なぜ彼は殺人を犯したのか?

この疑問の答えは映画の中では用意されていない。

答えは観た人が自分の心の中に問うしかない仕掛けだ。

究極を言えば、どの答えも正解だ。

自分の欲望の為だけで殺人を犯したのか、人助けの為に人殺しをしたのか、殺してはいないが誰かを助けることが自分をも助けるという事の為にぬれぎぬを負ったのか。

謎解きの心理サスペンスの趣きで物語は展開していく。

役所広司の深度の深い演技は、謎を謎のまま深めてしまうのに十分である。

MY 評価 ☆☆☆★★★ 

2017  東宝  124min

原案/監督/脚本/編集  是枝裕和 

撮影/瀧本幹也、音楽/ルドヴィコ・エイナウディ、美術/種田陽平

キャスト  福山雅治、役所広司、広瀬すず、吉田鋼太郎、斉藤由貴、満島真之

 

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映画「モーガン プロトタイプL-9」魅惑的なみずみずしい感性!

みずみずしい感性が横溢しているSF映画!

見所は、巧みに構築された映像表現にある。

将来、AIは感情を獲得することができるのだろうか?

人間のような感情を持つアンドロイドの誕生を目指す極秘プロジェクトが、あるアクシデントにみまわれるところからこの映画は始まる。

既に豊かな感情を持つ5才の少女モーガン(見た目は10代後半?)が、彼女の世話をしていた女性の眼を潰すという暴力行為を犯してしまった。モーガンはエラーだと言って必死に謝るのだが……。

この事故を調査する危機管理コンサルタントと称する女性のウェザースとモーガンの二人が主役となる。人間とアンドロイドと感情の有無についての物語に新鮮味は無い。ほとんどの人にとって、きっと何処かで観たり聞いたりしたことのあるテーマなのだろうが、実は見所はそこにはない。

見所は、全体のイメージから細部に至るまでの巧みに構築された映像表現にある。特に魅力的なのは、暴力行為やアクションシーンがアンドロイドの人間性というテーマに裏打ちされた演出のもとに、じつにリアリティー豊かに表現されているところだ。感情の有無という観点からみたアンドロイドと人間との対比は、期せずしてその残虐さは人間自身に返ってくるという皮肉さに思い至るところはおまけみたいのものだろう。

ふたりの主役の女優達がとても魅力的だ。この監督はリドリー・スコットの息子ルーク・スコットの処女作であるが、やっぱり処女作だけあって彼の感性がみずみずしく横溢している。雰囲気のある映画と簡単に言ったりするが、実は細部に至るまで計算され尽くしている所などは職人芸でさえある。特に感心したのは細かな編集の妙だ。アクションシーンにそれは最大に発揮される。リズムよく細かく編集された映像は一切の説明が無い。俳優の微妙な表情の変化と動きのスピードなどから生まれるものを監督が信じていることがよく分かる。だから、わからない人にはわからないとなる。これはセンスの問題だ。これがルーク・スコットの映像センスであり個性である。この作品のドラマツルギーとしての弱さは否定できないが、先に言ったとおり、見所は彼の感性が描きだした二人の女優や音楽も含めた映像にあり、それは魅惑的で、甘美ですらある。

秀逸なSF映画となった。

次回作にも期待したいところだが、この作品に魅力を感じる人たちは極めてマイナーだということが想定されるし、公開に至らなかった事を考えると次回作を観ることは期待薄だろう。この手の映画が評価されることがあるとすれば、ルーク・スコットが後年誰にでもわかりやすい傑作を撮った時に、処女作のこの作品が顧みられ再評価されるということだろうけど……。

MY評価 ☆☆☆☆

2016製作  アメリカ  92min  原題/Morgan

監督/ルーク・スコット
キャスト/ケイト・マーラ  アニヤ・テイラー=ジョイ
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映画「ワンダー・ウーマン」チャーミングな最強ヒーロー!

胸のすく、ヒーロー映画!


近年のヒーロー映画の停滞感を吹き飛ばした。

女性は強ければ強いほど、爽快だ。

女性ヒーローは中途半端な強さになりがちだが、ワンダー・ウーマンはとにかく圧倒的に強く、おまけに無垢で純粋で一途で、そしてユーモアセンスまであるのだから、最強かつチャーミングでとても魅力的な女性なのである。

この映画が成功した理由は、ワンダー・ウーマンの女性像というかヒーロー像の造形の上手さに集約されている。

彼女の魅力がイコール映画の魅力となっているという造りなのだから、演じる女優のガル・ガドットは如何に素晴らしかったかである。

そして監督がパティー・ジェンキンスという女性だったということはこの場合意味のある事なのだろう。彼女は存在感のある女性をつくり上げることに関しては優れた才能を発揮する。

出世作となった2003年作「モンスター」ではこの作品でシャーリーズ・セロンがアカデミー主演女優賞を受賞した熱演をベースにして、社会が生み出した負の体現者である連続殺人者という女性を描き出した。いわば「ワンダー・ウーマン」とは対極の容姿も醜い女性像を確立し、そのエネルギーで一気に物語を展開させた迫力ある演出は見事なものだった。

今回の映画も向かうベクトルが違うだけで、根本の想像力とエネルギーは同質のものなのかもしれない。

ガル・ガドットという女優に出会ったパティー・ジェンキンス監督の幸運と、彼女の魅力を最大限に生かし切ったジェンキンス監督の手腕に拍手。

MY評価:☆☆☆☆

2017公開   アメリカ   141min   原題/Wonder Woman

監督/パティー・ジェンキンス 

キャスト/ガル・ガドット、クリス・パイン
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映画「ダンケルク」これが映画か!何度もそう思った!

ここまで来たか!映画表現!

映画とは、かくも恐ろしい芸術なのか。

クリストファー・ノーラン監督が存在するこの世界では、虚構と現実の区別がつかない程の映画表現を獲得してしまったのだろうか。

映画は虚構の世界だが、或る意味ではリアルさを追求してきた歴史でもある。どこまで本物とか、現実のように見せるかを競ってきた。しかし、戦争の実体験のない世代の映画表現の世界では、もはや虚構が現実を追い越してしまったかのような錯覚すら感じてしまう。

戦争を俯瞰でとらえた巨大なスクリーンの世界の中に、さまざまな世界と物語がとらえられている。その瞬間に切り取られた時間に存在する人間には、それぞれひとりひとりに物語がある。母国へ避難を待つ40万人の兵士たち。桟橋に集まる様々な船。沈みかけてる大型船。燃える海。必死に泳ぐ兵士たち。空では爆撃機と戦闘機のバトル。同時に存在するそれぞれの戦いを生き抜こうとする兵士たちのサバイバルを、巧みな脚本で時間と場所を重層的に交差させ、生と死の境を明確に切り取っていく。


戦場で人が死ぬということの意味、理由、原因を観客に明確にしていく。彼は何故死に、もう一人の彼はなぜ死ななかったのかを見せていくのである。そこに居たから死んだ。そこを動くことが出来なったから死ぬという不運。必死に先を読んで生き抜こうとしたから生き延びた者と、同じように必死に生き抜こうとしたのに死んでいく者。その差に意味などはない。人間らしく生き抜こうとする者。人間性を放棄することで生き抜こうとする者。どちらが死んで、どちらが生きるかは運不運。生きるか死ぬかの境目にどのような意味や理由があろうとも、総ては無である、と映画は語っているかのようだ。戦争とはそうしたものであるということを描くこの映画は、同時にそれでも人間は素晴らしいと言い切る。戦争の愚かしさと人間性の肯定を同時に描くということは、すくなくともダンケルクという舞台を選んだ以上は、ハッピーエンドとなる側面の運命を合わせ持つ。そこが、生と死の不条理をテーマを持つこの映画の訴求力を損なうというアキレス鍵でもある。

もっとも超大作としての絶対的な使命はヒットして資金を回収することを思えば、優れた娯楽映画でなければならず、その意味でも見事なバランスだ。戦争映画の傑作誕生である。

MY評価:☆☆☆☆

2017公開   アメリカ   106min   原題/Dunkirk

製作・監督・脚本/クリストファー・ノーラン   

撮影/ ホイテ・ヴァン・ホイテマ  音楽/ハンス・ジマー

キャスト/フィオン・ホワイトヘッド、ハリー・スタイルズ、キリアン・マーフィー、
マーク・ライランス、トム・ハーディ、ケネス・ブラナー
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映画「SCOOP!」猥雑な海に漂いたい!

好感度高い猥雑空間


下世話で、猥雑で、特に主義主張も無いところが、とてもいい。

演出も、脚本も、奇をてらわず真っ当で、俳優陣も皆さん水準以上で最後まで愉しく観させてもらった。

でも、ちょっとだけ要らないところがあって、そこが無ければもっと良くなったのに惜しい。

一つ目は福山くんと二階堂ふみのベッドシーン。あれは総て要らなかった!この映画のテイストと全く相容れないものだった。とても綺麗に撮ってしまった。全く猥雑でもなく、エロくもなく、情緒もなく、哀愁もなく、何も伝わってこないシーンになってしまった。ここで必要な事は、ふたりが寝てしまうことを観客に伝える事ことだけでよかった。その伝え方に監督のセンスが試されるシーンだったのに…。よく解釈すれば、スター達のベッドシーンをどうしても入れてくれと映画会社やスポンサーにごり押しされて仕方なくでした…ということにしておきましょうか。

もう一つは、福山くんとリリー・フランキーの最後のシーンだけど、その前に伏線があって例のベッドシーンの後に、福山くんがこれも映画のキャラクターらしくなく自分の少年時代に憧れたロバート・キャパのあの超有名なあの戦場での兵士の写真をふみちゃんに見せちゃうんだよね。そして、チョット語っちゃう。それがラストに繋がるんだけど、これはやっちゃいけない。あまりに凡庸で作為が見え過ぎてあざとくなるだけで、かえってラストのインパクトを薄めてしまった。もしあんな伏線が無ければ、ラストはもっと唐突で衝撃的な味のあるシーンになったのにね。でも、多分だけど、ここのところが監督が一番のキモだと思って力入れて作ったんだろうなぁ、という気がする。

ザンネン!面白い映画なのに。

MY評価:☆☆☆★★★

2016公開 東宝 120min 

監督/脚本 大根仁 原作/原田眞人監督・脚本の映画「盗写 1/250秒」

キャスト/福山雅治、リリー・フランキー、二階堂ふみ、滝藤賢一、吉田羊
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