今、嫌いな言葉
「見て取れる」
でも、なんで嫌いなんだろう?
見る 取れる 採れる 摂れる 撮れる とれる
判定できる、分かる、読み取ることができる、などの意味の表現。
嫌いな理由が自分でも今一つよくわからない所が気持ち悪いが、嫌いだってことだけはわかっている。
嫌いな人のことは、どこが嫌いってすぐに言えるが、このことは意外にむずかしい。
多分なんだけど、この言葉そのものは普通であっても、これの使い方というか、使いまわし方というか…
使ってる人の感じというのか、ちなみにニュースでアナウンサーが使うときはそんなに気にならないから、ちょっとややこしい。
もっと嫌いな言葉に「生き様」があった
これ、だいぶ前から誰でも普通に使ってるけど、今だにとっても嫌いだ。
これの嫌いな理由ははっきりしている。
あまり細かいことをいう気はないけど、どうしても違和感を感じてしまう。
人が生きてることのすべてのシーンに簡単に使っていることに対しての違和感がとても有る。
さらに言えば、語感が耳障りだ。
濁音に品のなさを感じる。
別に上品ぶる柄じゃないが、「生き様」のザマがキタナイ。
この言葉も、そもそもは普通なのに、今の使われ方によって汚く聴こえてしまっているとしか思えない。
本来は普通に聴こえていたし、嫌いでもなんでもなかった言葉なのに、言葉が可哀そうなかんじだ。
言葉の使い方は文化だから、とうぜん時流を反映するので、現代の文化は少しキタナイ感じがトレンドなのだろうか?
言いかえると、その辺の微妙な感覚を感じることのない文化になっているかのようだ。
マスコミがこぞってとても好んで使いまくったおかげで、今ではすっかり定着してしまった。
文化はトレンドを内包せざるえない性質を持つ
だから、「生き様」が正に現代の文化なのかもしれない。
言葉一つだが、日本のマスコミのレベルの低下が、はっきりくっきり感じることができるテーマともいえる。
本来は民意のフィルターを通した時に、淘汰されるべきことだったかもしれない。
現代社会は民意の構築もマスメディアのチカラでどうにでもなるところがある
マスコミの責任は重いが、反比例するように使命感や責任感のかけらも無いようだ。
こうなったら、マスメディアがこれからどのようにしてあのような感覚の鈍い、そして品のないトレンドをつくり出し、トレンドたらしめていくのかを見ていきたいと思ったりもする。
そういったものごとの経過は、CM、ドラマ、ニュース等で、とてもわかりやすく進んでいくのを見ることができるだろう。
だが、わかりやすいとは言っても、人によっては見付けにくく、或いは見ることのできないことなのかもしれない。
そして、実はそこが、怖い・・・。