舛添要一から学ぶ「特別な人間」について
今となっては元都知事となった舛添要一の今回の騒動では、かつての彼の言動のTV映像をいくつか観ることとなったが、それは本人自身が言うように天に向かって唾吐く言葉ばかりだった。
中でも特に印象的だったのが「平等」である。
彼は何故か強く人の平等にこだわっていたようだった。
それを見た脳学者の女性が「自分を特別だと思っている人ほど人の平等を言う傾向がある」と言っていた。これはある実験の結果らしいのだが、なるほどと思った。
つまり、舛添氏が舌鋒鋭く切って捨てるが如く批判していた内容は、特別でない普通の人間は批判の対象とするが、自分のような特別な人間は何をしても許されるという理屈らしい。
だから、今回のことも自分の中では当然のことをしていたまでで、彼にとっては何も批判されることのない当たり前のことだったらしい。
そう思えば騒動中の彼の終始怒っているかのような表情もすべて納得がいくというもの。ブーメラン発言と言われているが、彼が投げた言葉は真っ直ぐにその対象に届くはずの言葉であって、ブーメランとなって自分に返って来るはずの無いものだったのだろう。
つまり、実は本人の思いとは裏腹に、彼はごく普通の人だったというオチだ。
やはり、幸せになるためのキーワードは「自分が特別な人間ではないことを知る」ことなのか。
なんだか、あまりに空しい人の愚かさを見てしまったような後味の悪さが残った。