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女優 鈴木杏の凄み!


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 NHK総合の土曜ドラマ「今ここにある危機とぼくの好感度について」が2021年4月24日から始まり、昨日で第2話まで放送された。このブログでテレビドラマについて書くのはずいぶんと久しぶりだ。テレビドラマはどんなに良い出来であってもよっぽどのことがない限り、人々の記憶から消えていってしまうからだ。しかし、どうしても書きたいという気持ちになってしまった。それは、このドラマの中心人物の一人を演じた女優 鈴木杏にいたく感銘してしまったからに他ならない。そうなのだ。感動し、感心して、感銘という言葉さえ浮かんできてしまったのだ。

 主演は松坂桃李で、脇に松重豊、岩松了、國村隼、安藤玉恵、渡辺いっけい、池田成志、高橋和也、温水洋一等々のそうそうたる顔ぶれで重厚なドラマかと思いきや、ちょっとブラックでコメディタッチの軽い雰囲気のドラマである。そんな中にあってストーリーはなかなかシリアスな内容をはらみ、鈴木杏はその部分を一手に引き受ける格好になっている。物語は彼女が主役の桃李君から去ってしまうところで2回目が終わり、次回の予告をみると別の展開になっていたようなので彼女の登場はこの先あまり期待できそうもないが……。

 鈴木杏という女優を初めて見たのは確か岩井俊二監督の2004年公開の映画「花とアリス」だったと思う。若すぎるぐらいに若いにもかかわらす、その確かな存在感は年齢とのギャップもあり一種異様なほどに強烈な印象を残していた。しかし、その後、なぜか彼女を意識してみることはなかったように思う。今回の彼女の演技は、役どころとして強い覚悟と同時に様々に揺れ動く感情の繊細な心模様を余すことなく的確に表現していて、その女優力に目をみはらされた。本当にびっくりしてすぐにウィキペディアで調べてしまった始末だ。舞台で活躍していることは知らなかったわけではなかったが、去年の紀伊国屋演劇賞などの賞を独占しているような舞台をがあったことを知り、かえすがえすも後悔することになった。なんとそれは、あの栗山民也演出の一人芝居というではないか!迂闊にも去年のコロナ禍の状況で舞台情報にまったく無防備であったからだが、テレビでも放送していたというからもったいない話だ。「殺意 ストリップショウ」といういかにもそそられる題名の鈴木杏の一人芝居なんて、どれほど贅沢な舞台を見逃してしまったのか!今となっては地団太を踏むばかりである。

 そう思うほどに、今回のテレビドラマ「今ここに……」の鈴木杏は良かったのである。

2021/5/2


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人は誰でも発達障害!?





 

例えば、最大公約数的一般社会や普通の会社のような経済効率を追求する組織では、

自分の常識が通常の一般常識としては通用するかもしれないけれど、

実のところそういう当たり前のような常識の影で、

全く違った考え方や感じ方をする人たちは密かに傷ついていくわけで、

そう思って振り返れば、

あんなこともこんなことも、

もっと違った言い方ややり方があったのにというようなことが、

僕の過去に累々と点在しているようなのです。

 

何でこんなことが!

と思わず他人にムカッとした時、

あぁ、もしかしたらあの人は気がつかないだけなのかもとか、

分らないだけかもとか、

そういう性質というだけなのかもとか、

或は自分の考えが間違っているのかもしれないとか、

とかとかとか、、、

当たり前のことだけど

人はみんな欠点だらけだから、

上手く出来ないこともたくさんあるのだから、

お互い様だから、

と思えると怒りもスッと消えていく。

あまりにも当たり前なのですが、、、。

 

上手く出来ない事は大なり小なり誰にでもあるけれど、

上手く出来ないことが社会に適応できない程度の場合は、

いわゆる発達障害というレッテルが付くことになる。

 

でも僕も自分でも呆れるくらいおっちょこちょいだし、物は良く忘れるし、

笑っちゃうくらい方向音痴だし、

もしかしたらこの部分は軽い発達障害と言えるんじゃないか、、、。

障害というと抵抗があるけど、

少なくとも他の人より発達が遅れている部分であることは確かな事です。

だとすれば、

人は誰でも多かれ少なかれ発達障害的なものを幾つも持ちつつ

何とか生きているのかもしれない。

 

発達障害なんて自分とは全く無関係と思っていたけど、

実はぜんぜんそんなことじゃなくて、

障害って言うからおかしなことになるのであって、

脳の発達がみんな人それぞれ違うのだということを理解すれば納得もいきます。

脳の発達は、これまで人間は誰でもが定型の曲線を描いて発達するもの

と考えられていたらしいのですが、

どうやら人それぞれ発達のスピードは異なり、

かつ能力のすべてがパラレルに成長していくわけでもないということが分かってきたらしいのです。

発達障害と言われている人たちも決して発達しないわけではなく、

発達の仕方が独特で定型発達の秩序から外れているだけらしいのです。

よく言う言い方で、

所詮人は誰でもみんな変わっているところがあるものだから

誰でもみんな変人だ、などと言ったりしますが、

それは少なからず変わっている部分の脳の発達が周りと少し違うという事なのかもしれません。

英語直訳では神経発達のずれ、とも言うらしいです。

ですから、人はみんな多少の神経発達のずれはあるのでしょうから、

つまり日本的な言い方では、

人は誰でも「発達障害」を持っている、

と言えるのかもしれないですね。

2019/10/30

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吉本、張本、昔は正しかったのに!

吉本騒動も、張本コラムも、ひと昔かふた昔か、とにかく相当昔は正しかったように見えていた。

少なくとも、そう「見えていた」ことだけは確かだろうな。

ところが、今や、れっきとした 時代錯誤 だ。

存在が大きくなって、まるで恐竜だ。絶滅前の絶滅種の様相を呈してきている。

 

 

 

 

 

 

ここまで時代や常識や社会通念と乖離して尚生き延びて来たことは、むしろ驚くべきことなわけだが、よく考えてみれば何のことはない、周りがそれを許してきたとういう一点に集約される。

許してきたというよりも、実は利用してきたという方が当たっているのかもしれないが…

間違っているのは承知の助なのである。

テレビ局や周りのマスメディアがそれを知らないわけがない、と見ている。

知っていて面白がったり、或は面白くも何ともないけど視聴率が取れるとか、部数が伸びるとか、たいがいがそんなものだろう。

だから、この件は完全にアウト!だ。

本人はもちろんだが、利用してきた周りの環境まるごとアウトなのだと思う。

正しいと思っていたことも、いつまでも不変ではない。

そろそろ変わらなきゃだが、ほっといても時代が淘汰するのだから、いつの間にか変わっていたり、そう言えば見なくなったとかになるのだろう。

正しいことも時代を生き残ることは容易ではないのだ。

誰だって経験している。今まで信じて疑わなかったことが、今や正反対の大間違いのことだったなんて。それと同じことが彼や彼等に起こっているということだ。

あまりに当たり前のことだから、こんなことを書くのだって、空しいと言えば空しい行為だ。

つい調子に乗って書いてしまった!

2019/07/30

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2019年アカデミー賞/女性とメキシコとブラックパワー!

2019/2/26

メキシコはメキシコの壁の費用は払わないトークで始まった!

今年のアカデミー賞で最も象徴的だった受賞は主演男優賞だったかもしれない。「ボヘミアン・ラプソディ」で受賞のラミ・マレックはパキスタンからの移民だ。モデルのフレディ・マーキュリーは移民のゲイという極め付きのマイノリティだ。

想像に難くないのが、アカデミー会員の多くが感じていた今年の空気感である。

いわゆる空気を読んだ結果が、あらゆる差別の無い多様性であり正しい人権の在り方だったはずである。

去年は直前のセクハラ事件もあって女性と移民のアカデミーの印象だったけど、今年も終わってみれば、女性とメキシコと黒人パワー全開のアカデミー賞であった。

但し、受賞の流れから言って作品賞は監督賞のアルフォンソ・キュアロンの「ローマ」が妥当なはずだったが以外にも「グリーン・ブック」となった。

この作品も黒人差別が重要なテーマであっただけに、ある意味まっとうな結果とも言えるが、実際のところネット配信のメキシコ映画が受賞するほどアカデミーは進んでいないことの証明のような気がしてしまった。

それと、司会者が居なくても全く問題ないということがもう一つの意外なことだった。これでいいじゃない、と思うけど来年はまた司会者ありなんだと思う。司会者無しはスタッフの準備が大変そうだからね。

それにしても、現在のアメリカの多様性というより、混沌と言った方が適していると思うけど、この混沌とした現状への危機感を強く感じた。つまり、トランプ大統領への危機感がアカデミー賞全体に色濃く反映していたと言ってもいいのかもしれない、そんなアカデミー賞だった。

さて、来年はどんな世相が背景にあるのだろう?

2019/2/26

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2019年グラミー賞は意外だけど妥当 !?

2019/2/11

今年のグラミー賞のテーマは多様性!

最近よく聞くダイバーシティ。男ばかり受賞した去年の反動ということか。いつの年もその時代性を否が応でも映し出してしまうのが、グラミー賞とアカデミー賞だ。一足先に行われたグラミーアワード

だが、受賞は意外な結果となった。何より意外だったのはラッパー兼俳優のチャイルディッシュ・ガンビーノが米国の銃社会を批判した曲「This is America(ジス・イズ・アメリカ)」で、 最優秀レコード賞と楽曲賞のダブル受賞だ。これも去年のブルーノ・マーズの圧倒的に楽しい楽曲の反動だろうか?とは言ってもアメリカの音楽シーンて意外にメッセージ性がストレートな物が多い中である意味妥当だったのかもしれない。しかし、大方の予想を外したのも事実。

更に極め付きの意外性は 、最優秀アルバム賞だ。カントリー女性歌手ケイシー・マスグレイヴスの「ゴールデン・アワー」の受賞には本当に驚いた。ブラック・パンサーのアルバムやドレイクの「スコーピオン」のソーシャルな話題性と売上高を考えればまさかの女性カントリー歌手!これも去年の男ばかりのグラミーの反動と考えれば、妥当なのか!

こうなると、以外と言うより妥当なグラミー賞ということになる。

そもそも多様性の本来の意味を考えれば、ただ単に女性の候補や受賞者やパフォーマンスを多くしたりすることではない。今回のことが去年の傾向と対策であるなら(そうだと思うが)、それは去年が男性メインの受賞だったことから「女性も頑張ってほしい」というグラミー会長の失言によるところが大きい。彼のその発言は想像以上の大バッシングを受けてしまったからだ。だから今回の仕立ては十分過ぎる程の想定内の出来事だった?かもしれない。

多様性って、それが本質的に継続していくことから生まれてくるはずのものであって、何かの修復とか反動であってはならないんだけど、実はグラミーもアカデミー賞もいつも前年の反省の上から試行錯誤の連続だ。反省と言えば聞こえはいいけど、だいたいが今回の様な修復が常。

まあ、そこが面白いと言えばそうなんだけどね。

2019/2/11

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「僕の恋人はバイセクシュアル」

 

1973年、僕の二十歳の時の恋人〈S〉はバイセクシュアルだった。

僕の恋人〈S〉は高校時代に同級生の女性〈T〉と駆け落ち心中未遂をしていた。

車で死ぬつもりだったらしいが失敗して、その時の傷が体中に幾つか残っている。 特に左の眉毛は斜めにカットしていてそこだけ眉毛が無く、少し怖い印象を相手に与えていた。ふたりは高校を卒業すると、人生の再出発のため島根の浜田市から大阪に行った。しばらくしてTは勤め先で知り合った男と結婚し、一人になったSは大阪を離れ、東京に出てきた。 僕とSは銀座のコーヒー屋のアルバイト先で知り合った。Sのしゃべるイントネーションと言葉は浜田の港町の荒い言葉に大阪弁が混ざり、切れた眉毛と相まってその強烈な個性に、僕はかなりやられていた。 ある時、Sに「うちの初めての男になってくれへん」と頼まれた。

僕は最初の男に選ばれたことがちょっと誇らしかったが、Sはレズビアンに行き詰まり、ノーマルに挑戦していたのだった。そして互いに気に入った僕たちは、まもなく同棲を始めた。

同棲中、僕に語るべき過去などたいして無かったが、Sは語るべき幾つかの過去を話してくれた。そして、どれほど自分が心中しようとしたTを好きだったか、どほれどTが素晴らしい女だったのかを、寝物語に僕に語って聞かせるのが常だった。そして僕はその話しを聞くのがとても好きだった。Sは僕のことを理解があると喜んだが、僕はSの語るTとの物語を聞くのが楽しかったのだ。

僕たちの同棲のバックグラウンドミュージックは、井上陽水の「傘がない」とポール・モーリアの「シバの女王」だった。

題名は忘れたけど演歌もあって、演歌は苦手なはずなのになぜかその時はその演歌も大好きで、6畳一間の風呂無しトイレ共同のぼろアパートで、安酒を飲みながら二人で一緒になって歌っていた。

毎晩Tの想い出を聞かされているうちに、僕は次第にまだ見ぬTのことを少しずつ好きになりはじめていた。そんな僕をSは察知していたが歓迎もしていた。Tはとてもいい女なのだから好きになるのは当たり前だと言った。でも、僕は密かに後ろめたかった。

 

その年の夏、僕たちはSの二人の母親に会いに広島と島根に行った。

僕たちはまず実母の暮す広島の家に数日間滞在した。その時のSは少し威張っていた。実母夫婦は遠慮気味に静かに僕たちを迎えた。僕たちは当然のように一つの部屋をあてがわれたので、まだ二十歳になったばかりなのにまるで夫婦になったような気がしてすこし居心地がわるかった。

次にSの継母の怪物(Sは継母を怪物と呼んでいた)に会いに島根のSの生家に行った。Sは今度は少し荒れていた。家族は僕が一緒なので戸惑いつつも歓迎してくれていた。釣りや海岸での花火大会やら、いくつかの光景は鮮明に思い出すことができる。

ある日、SとTがよく歩いていたという浜辺に僕たちは行った。散歩をしながらTのことを話していたら、浜辺の向こうに僕たちに向かって歩いてきているTがいた。

大阪に居るはずのTと東京に居るはずのSが、生まれ故郷の想い出の浜辺で偶然出会ってしまうって、いったいどういうことだろう。

TとSと僕の3人だけが、そこに居た。

混乱していた。

どんな会話があったのか、全く覚えていない。

ただ互いに驚きと戸惑と、SとTとのふたりの間に熱い空気が行き場もなく流れ、そして砂浜と僕等3人の足元を洗う波の音が静かにリフレインしていた。

あまりにも劇的な瞬間は、不意にやってきて何気なく去っていく。

1週間ほど滞在して東京に帰る日、「再会」という名の喫茶店で、僕たちはまた偶然Tに再会した。都合良すぎる偶然と喫茶店の名前にさすがに唖然としたが、現実は出来過ぎた偶然でも何事もなかったかのように受け入れるものらしい。

ある日突然、Tが東京のぼくたちの暮すアパートにやって来た。

TはSと同様にノーマルに生きるために大阪で男との結婚に挑戦していたのだが、一年程で離婚していた。本物のレズビアンだったTは元々無理だった結婚に疲れ果てて、東京にやって来たのだった。Tはちょっと粋なお土産を持ってやって来た。それはTが使うことのなかった訪問販売で買わされた大量の高級コンドームで、Tはすこし恥ずかしそうに、僕たちで使えと言った。なんだか僕は哀しかった。きっとTはとても強く何かを決意し、何かを期待し、とにかく頑張ったんだなと思った。

そして、3人で少しの間だけ一緒に暮らした。でもそのコンドームを使った記憶はない。

その後Sと僕は2年の付き合いに終止符を打ち、別れた。

別れは、修羅場だった。

濃密な2年間は濃密な別れを必要としたのだ。

が、とにかく別れた。

しばらくしてから、僕はどうしてもTのことを忘れることができず、なんと僕は別れたSに相談した。案の定、Sはこんな僕はバカにしたりはしなかった。

僕は、Tに告白した。

そして、きちんと振られた。

当然だ。Tはとてもいい女なのだから。

Tは人間として僕を振り、レズビアンとして僕を振った。

僕は二度振られたらしい。

僕はTにもSにも恥ずかしかった。

僕はよくわかっていなかったのだ。

もしかしたら、大丈夫なんじゃないか、なんて思っていたのだ。

何が大丈夫なのか?

僕はいつも、何だか、何でも、大丈夫なんじゃないか?と思っていたふしがある。

でも大丈夫じゃない事はいくらでもあるものだ。

僕はようやく自分の事や周りの人たちの事や様々な事が見え始めてきていた。

未熟で愚かな僕は、Sと別れたこともすべてを後悔していた。

僕はSとTの間を楽しく泳がさせてもらっていただけなのだろう。

恥ずかしかった。

ずいぶんと間抜けな話だ。

それ以来二人には会っていない。

そして、僕は今でもSとTのことをいい女だったと思っている。

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LGBTQ、人は違って当たり前!

誰だってどこか違っていて当たり前。

人種の違い、肌の色の違い、性別の違い、人間は色んな種類に分かれて生まれてくる。

そして、どの人間も何処かに所属し、何処かに分類されいてる。

LGBTとは性的少数者を限定的に指す言葉だけど、語源というか由来はレズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称であって、他の性的少数者は含まないらしい。

例えば男にも女にもなりたいわけじゃない「Xジェンダー」はどうしたらいいのだろうか。

XジェンダーはLGBTの枠からはみ出ているため、その枠からも疎外感があるという。

そこで、XジェンダーはクエスチョニングということでQが加わりLGBTQとなったわけだが……

とかく子供から大人まで、まんべんなくどの世代もいつの時代も少数派を攻撃し、自分は多数派の中に埋没しようとする傾向は、程度の違いこそあれ世界中あまり変わりがないようだ。

まったく人間とは面倒な生き物だ。

厄介極まりない動物だと言えるようだ。

何故なら、人はややもすれば、すぐに区別し、差別し、排除し、攻撃するからだ。

しかもその理由は様々に複雑で深刻だ。

もっと単純になれたらいいのにという単純な思いは、

複雑怪奇な

人の心の闇に

消えていくだけだなのか。

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世界はこんなに広いのに、人は何かの箱の中!

毎日のニュースや事件を見ていると、つくづく思う…

人はみんな何かの箱の中で生きてるんだなぁって……

人はみんな違っているけど、その違ったままに自由に生きる事は、なかなか困難だ。

人は大抵どこかに所属して生きている。

組織とか或は仕組みと言ってもいいが、そういった箱の中に入っている。

会社という箱、或は経済という仕組みの箱、学校という箱、家庭という箱、子供、親、兄弟、友達、仲間、上司、同僚、部下、エトセトラ…エトセトラ……

そして自分という箱。

それらは幾重にも複雑に絡まり合う。そして、箱にはひとつひとつその箱なりのルールがある。

それなのに、人は自分らしくいたいものだから厄介だ。

何故なら、人は自分なりの嗜好やら考え方やらがあって、そういうこだわりみたいなものに縛られていると言ってもいいからだ。

そういったものは元々箱の中には入りきれないものなのだから。

ストレスとは、自分自身と様々な箱との差分なのだろうか。

箱にはそれぞれいろいろと決まり事があるから、当然差分の種類もいろいろで、ストレスもさまざまだ。

世界はこんなに広いのに、人はいつも箱のなかだ。

人が人である限り、そこから逃れることはむずかしい。

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女性と移民の2018年アカデミー賞!

ハリウッドが変わる?

かもしれない!

移民や女性がつくった映画だって面白い映画ができるし、ヒットもする。

アニメやマーベルコミックでなくてもいいんだ。

そんな機運が顕在化した記念すべき年であったのかもしれない。

ワインスタイン追放、そして…

冒頭からセクハラの代名詞となったワインスタイン追放の連呼で始まった。

あきらかにセクハラ追放は大きなテーマとなり、女性や移民の差別意識がアカデミー会員の投票に結果として現れた。

一番意外だったのは、脚本賞の「ゲット・アウト」の受賞だ。黒人差別がテーマではあるが、ホラーサスペンスのテイストであるため、大ヒットはしたがまさか受賞とはならないだろうとう大方の予想を裏切った。

とは言え、それ以外は久々の順当の結果だった。まんべんなくばらけた受賞となったことも珍しい。

「シェイプ・オブ・ウォーター」の監督と作品の受賞は怪獣映画の夜明けだと言う人もいたが、むしろロマンティック・ファンタジーというべき作品であり、その完成度の高さから受賞すべき作品が受賞した印象だ。

一番印象的だったスピーチといえば、主演女優賞をとった「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドの女性の候補者全員に立ち上がることを呼び掛けてその少数さをアピールしたことだろうか。メリル・ストリープを筆頭に嬉々として立ち上がっている様は、彼女たちが今まで並々ならぬ戦いをしてきたことを想像させるシーンであり、今年のアカデミー賞を象徴することになった。

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2018年グラミー賞!アメリカは分厚かった‼

アメリカは分厚い!これが今年のグラミー賞で思わず出た言葉だ。

この分厚い壁、分厚い混沌、分厚い抵抗、分厚い競争、この分厚さから抜け出て来た才能集団がここにある。

並大抵でない個性の煌めき。

特別に個性的なことこそがクールなのであって、人と同じでは意味のない事。人と違ってこそ意味を持ち始める。

ブルーノ・マーズの楽しさとカッコ良さはたとえようもない!

と思ったらスティングの登場!また別物の比類ないカッコ良さは超クール!

ピンクの意外にも歌の力のみの凄み。言い出したらきりがない。

セクシャルハラスメントはもう終わりだ!タイムズ・アップ!と力強く訴えたケシャとシンディー・ローパー達女性軍。

ひとり、さりげなくタイムズ・アップと呟くレディ・ガガ。

魂を壊された者たちの叫びだ。

同様に胸に刺さる。

あらゆるマイナスをプラスに転化する力強いベクトルこそ音楽、そしてグラミー賞の本質なのか。

あらゆるジャンル、あらゆる国、あらゆる肌の色、あらゆる性別、あらゆるマイノリティ又はマジョリティ、あらゆる主義主張がここではサイコーのパフォーマンスで堂々と披露される。全てがここにあるかのようだ。もちろん古今東西音楽だって政治から逃れられない。圧巻のパフォーマンスのスタンディングオベーションに平然と座り続けるアーティスト達もいる。何でもありだ。まるでカオス。

冒頭で現代の黒人を代表するコメディアンのデイヴ・シャペルは言う。「アメリカで黒人が正直に生きるのを見るのは恐い。正直な黒人として生きるのはもっと怖い」

それにしても何時からこれほどソウル、R&Bとヒップポップの天下になったの?

もはや白人だけではほんの一握りの狭いシーンを形成するだけだ。様々な人種で作り上げているヒップポップやR&Bこそが主流となったことこそが今を如実に表している。

象徴的なのが、ケンドリック・ラマーで始まり、ブルーノ・マーズで締めくくったことだ。

それにしても、まさかこんな時代が来るとは!

それにしても、大勢の黒人たちが撃ち殺されていくパフォーマンスをしていまうとは!

それにしても、ヒラリー・クリントンまで登場させてトランプ大統領をおちょくるとは!

それにしても、みんなエルトン・ジョンが好きだよね。

それにしても、凄いリアーナのエロカッコ良さ!

それにしても、司会者が腰を抜かさないでと言ったパティ・ルポーンの腰を抜かすほどの圧倒的歌唱力!

それにしても、ジェイZが全て落ちるとは!昨年の彼の妻ビヨンセの再現を誰が予想しただろう‼

それにしても、あらゆるそれにしても、があるのがグラミーなんだね。

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舞台「ビリー・エリオット」感動の輝ける少年!

物語の少年の成長と舞台上の少年の成長がシンクロする妙!


原作は言わずと知れたあの傑作映画「リトル・ダンサー」

炭鉱町とバレエダンサーの対比が物語のエナジーを増幅させる。

不況の嵐と戦う炭鉱夫たちとバレーに魅せられたビリー・エリオット少年は、決してくじけない魂に於いて同質の覚悟を胸に秘めているのかもしれない。

映画の世界は、ビリー少年の夢を追い求める純粋な気持ちと勇気が、観る者の魂を震わせる。

舞台版はミュージカルである。物語の中のビリー・エリオット少年が、舞台上で歌い踊り芝居をする生身の少年とシンクロしていく様はドキュメントのようにリアルな体験を観客はすることになるのだ。映画とは全く違うテンションで物語は展開し、舞台特有の楽しさが弾ける。観客はさながら子を思う親であったり、アイドルを崇める少年少女のように一種異様な盛り上がりをみせる。舞台と観客が独特な一体感をもってエンディングまでなだれ込む。

冷静に評価すれば、前半のインターミッションまでのエネルギッシュでダイナミックな構成は観客の楽しさを頂点まで盛り上げてしまうため、後半の展開はいささか物足りなさは否めない。

そういった演出上の問題点はあるが、この舞台はビリーを演じる少年の舞台上での成長を観客が共感し、楽しみ、感動することを目指しているのだから、多少の事には目をつぶるのである。

輝く少年を観て、心を動かされないはずがないのである!

 

MY評価 ☆☆☆★★★

2017公演   赤坂ACTシアター
  
 脚本・歌詞:リー・ホール
 演出:スティーヴン・ダルドリー
 音楽:エルトン・ジョン
 振付:ピーター・ダーリング

キャスト/山城力(5人のビリーのひとり)、(以下ダブルキャスト)益岡徹、島田歌穂、根岸季衣
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キムタクネガティブキャンペーン?

やけに長いキムタク叩き


真偽のほどは知らないが、いや、真偽があるのないのかも知らないが、キムタク叩き、やけに長いなーって思ってたら、これってネガティブキャンペーンってやつ?

まあ、そうなる原因というか要因がいろいろあったんだろうと想像できるが、傍から見ていて、みっともないし、カッコ悪い!というのが正直な印象だ。

いつまでもいつまつつでも続き、とうとうスマップと関係ない彼の主演映画にまで同じテイストでそれは及び、もはや驚きの現象である。

それもいつかは終わり、そのうち気がつけば彼を誉めまくる逆転現象もありうるかもしれないが、それもなんだかね……いつものこととはいえ、性根の悪い人間を見ているようで気持ち悪い。

とにかく、傍から見ているこっちの方が恥ずかしくなるほどにカッコ悪い「キムタク叩き」現象である。

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失態アカデミーでアメリカを見直す!

思わず立ち上がってしまった!

ウォーレン・ベイテイとフェイ・ダナウェーのボニーとクライドのコンビが作品賞は「ラ・ラ・ランド!」とコールした!

「やった!」授賞式前に観といて良かったとしみじみ思っていたら、あってはならないまさかの間違え!喜びのスピーチがひととおり終わる頃壇上がざわめき出したなと思ったら「本当はムーンライトなんだ!」とラ・ラ・ランドのプロデューサーが叫んでいた。決して起こり得ない、有り得ないミスが起きてしまった瞬間を僕達はリアルタイムで目撃してしまった。隣で半分寝ていた息子がさすがに眼が覚めたらしく「アメリカンジョークなのか!」なんて口走っていたが、舞台上の錯乱と混乱と熱狂ともいえる興奮が、それが正に事実であることを証明していた。

ウォーレン・ベイテイの開けたカードは直前の主演女優賞の「エマ・ストーン/ラ・ラ・ランド」であったらしい。カードはなぜか必ず2枚あるらしいから、よく今までミスが無かったものだと逆に感心してしまった。

ところで、授賞式後のいつもの受賞者達への公式インタビューで、関係者達の返答がとても良かった。まずムーンライトのプロデューサーが「あの時僕が絶句したのは、受賞の喜びからじゃないんだ。ラ・ラ・ランドの彼らが僕達をすぐさま祝福してくれた態度の素晴らしさからなんだよ。もし逆の立場だったら僕には出来なかったと思うんだ」。そしてエマ・ストーンは「自分たちが取れたら勿論嬉しかったけど、ムーンライトが受賞したこともとっても嬉しかった。何故なら本当に素晴らしい映画だったから」

今回の司会は久しぶりに来年もやるかなと思わせる非常に良い出来だった。去年のようなちょっとヒステリックな印象の人種差別へのこだわりもなく、一貫して反トランプジョークではあったが、丁度いいカンジのブラックユーモアで気持ちよく笑えた。ジャスティン・ティンバーレイクの圧倒的なパフォーマンスのオープニングから始まって、天井からのお菓子のパラシュートも良かったし、スティングのしんみりしたパフォーマンスも大人の渋さで良かったし、ハリウッドの観光バスの人たちをサプライズで会場に入れてしまうのも楽しかった。ハプニングもあったが、その対応も含めて大人のエンターテイメントで、このところすっかり幻滅していたアメリカだったけど、日本には無いアメリカの素晴らしさを感じることが出来て、見直してしまったよ。

喜んだり、がっかりしたり、感心したり、まるでジェットコースターのような気分を味わうことのできたアカデミー賞でした。

あー、面白かった!

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トランプ大統領、魅力無きアメリカ!!

アメリカ人じゃなくて、ホントウに良かった!

かつて、憧れたこともあったのに…

子供の頃、なんでアメリカ人に生まれてこなかったんだろう?と自分の運命を幾分悲しんだこともあったのに、今ではアメリカ人に同情すらしてしまう。

トランプがとうとう大統領になってしまったからだ。

これが決定打。アメリカに対して持っていた上質な楽天主義や夢や希望や良心とかいうものが、みるみるうちに色褪せていってしまった。

アメリカと言えば、ハリウッドを代表するアメリカ映画のつまらなさは、この数年ずっと続いていて年々観たいと思わせる映画が減少していた。いまやアメコミかアニメばかりで、失敗できないハリウッドの持つジレンマにかなりの閉塞感を感じていた。映画が誕生してから現代に於いてまで、かつてない程にアメリカ映画はつまらない時代になってしまっていると思っていたのは、僕だけなのだろうか?

ついにはアカデミー賞に対しても今までのようなワクワク感が減少している自分を感じていて、とても寂しい気持ちになっている。正直いうと、アカデミー賞授賞式には必ず会社も遊びも休んで準備万端で臨んでいたものだが、今年はテニスの予定が有るので録画でいいかな、なんて思ってしまっているのだ。

時代を反映してしまう映画という文化がこの有様のなか、トランプ大統領の誕生はむしろ必然だったのかもしれない、なんて思ったりもする。実際関係あるかなんて知らないけどね。

とにもかくにも、時代は確実に動いている。

僕達はこの時代にどう対応していくのだろうか?

ちょっと、引いた気分で考えるこの頃だ。

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あぶない、自分の正義!

正義とは、振りかざした途端にその意味を、その矜持を失うものだ。

時と場合によって、正義はまことにうざったく厄介な姿をみせる。

最近、こんなニュースがあった。

電車の優先席で老人に席を譲らない若者がその様子を自分で動画に撮りネットにアップしたという。

やりとりはこうだ。老人が若者にそこをどきなさいと言うと、若者は何故?と返す。老人は優先席だからと言う。若者はそういう人には譲りたくないと返す、とこんな感じらしい。そしてネットの炎上。

事情も真偽のほどもニュアンスもよく知らないのでこの件に関してはあまり言う気はないけど、世間によくあることで誰でも経験していることは、互いに自分が正しいと思っていて決して譲り合わないという状況だろう。

問題はやはり自分にこそ正義があると思っているところにある。相手にも言い分というか自分が正しいと思っているのかもしれないという発想や想像が欠如している。

自分に正義があると思えばどんなことも平気でやってしまうのだろう。以前こんなことがあった。渋滞している道路をバイクで走っている時にセンターラインを跨ぎながら渋滞の車を追い越して走った時のことだ。反対車線には全く車がいない状況で1台のバイクが向こうからやってきた。すれ違うその時強烈な衝撃が右半身を襲った。すれ違いざまに蹴られたのだ。右手から腰そして太ももにかけて蹴られていた。冬だったので履いていたオーバーパンツは見事に裂けていた。右手はしばらく痺れたままだった。あまりのことにあっけにとられたし、すれ違いざまなのでもはや追いかけることも出来なかった。自分が交通違反をしていたのは間違いないが、まさかの出来事だった。一歩間違えれば大きな事故になっていたかもしれない。勿論お互いにだ。多分、相手は一瞬で頭に血がのぼり正義の制裁を下したのだろうと想像した。通勤の道だったのだがその後二度とそのバイクを見ることは無かった。

もう一つ忘れられない事がある。それはとても苦い思い出としてこびり付いている。子供がまだ幼い頃、家族4人で自転車に乗って公園に遊びに行っていた時に1台のワンボックスカーが公園内の通路を遮って停車していた。僕はこんなところに車を停めるなんてふざけんなとばかりに車の横腹を蹴った。もちろん軽くへこまない程度だが。するとそれを見ていた車の持ち主が飛んできて思い切り怒られた。怒られて初めて自分が悪いことをしたことに気がついたのだ。妻も同様に僕を怒った。その様子は呆れてしまった感と一種軽蔑したニュアンスが混ざっているように感じて、僕は自分のしたことのあまりの間違いの大きさに驚愕した。妻に軽蔑されたかもしれない事と、子供達の前でそんなことをしてしまった自分の愚かさに唖然とし、同時に傷ついた。なぜあんなことをしてしまったのか?今にして思えば、僕を蹴ったあのバイク野郎と同じなんじゃないだろうか、ということだ。
ところが、妻や車のオーナーに非難され時に僕は戸惑っていたのだ。実は、なぜ正しいはずの自分が非難されているのかわからなかったのだ。一瞬ではあったが、理解できずに戸惑ったという事実にその後になって僕はショックを受けていたのだ。車を蹴るなんてことは普通じゃ考えられないことだが、その時僕はこんな場所に止めたら誰も通れないじゃないかと憤慨していたのだ。その時、自分だけが正しいと思っていたはずだ。でもだからといって車を蹴るなんて有り得ないはず。なのに僕は憤慨していたものだから……つい…… 事の是非を見失った瞬間である。
その時の感覚が生生しく記憶に残った。
僕の恥ずべき事ベスト10のかなり上位を占める出来事であった。まだ上が有るのかと言われそうだが、その通り有るのである。有るのだから仕方ない。全くひどいものである。

それだからなおさら、間違えは誰にもあると思いたい。

特に相手が悪いと思った時に間違えは起こりやすいのだろう。

ネット炎上となった優先席のやりとりも、互いに相手の方が悪く自分にこそ正義があると頑なに思っていたようだ。
人は正義の御旗を手にした途端に、いわゆる人が変わってしまう。今まで弱弱しかった人でさえ、居丈高に相手を攻撃することが出来てしまうもの。いきなり無敵のバリヤーと最強の武器を身にまとったかのようになり、相手がどうなろうが関係なくなる。いや、関係ないというよりは相手を破壊してしまうことさえある。過剰防衛とか過剰正義とか言われているものだが、日本人に多くみられる気質だという。そう聞けば最近の週刊誌とかメディアの報道をみれば、ああそうかと納得してしまう。

自分が正しいと思ったその時が、一番危険なのかもしれない。

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2016年の新語・流行語大賞「神ってる」はサイコーに気持ち悪い!

今年の新語・流行語大賞は「神ってる」だってさ!

ぼくのとは違うなー!

そもそも「神懸かってる」っていう言い方が嫌いだ。

なぜなんだろう、とても嫌いだ。

たぶんだけど、神懸かってるというコトバのチョイスの発想そのものに気持ち悪さを感じているからなのかもしれない。

有り得ないことが起こった時に、信じられないことは神の領域だという軽い発想なのだろうけど、その軽さと神という重量級のコトバのコラボレーションみたいな感じが気に入ってるのかもしれないね。おまけに「神ってる」というみんなのお気に入りの動詞化にしてるところが更に受けたんだろうなー。正直言って、その何もかもが気に入らない。気に入らない理由を分析すればいろいろ出てくるんだろうけど、それより気持ち悪さの方が勝ってるって感じだ。

今回の候補の中で一番気に入ったのが「保育園落ちた日本死ね」だ。

「一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」と育児中の母親と見られる人物が訴えた。そして「保育園落ちた日本死ね」だもんね。サイコーだ!スカッとする!この小気味良さはたまらないものがある。日本死ね、と言い切るところに怒りの大きさを感じるし、また死ねと言い切れるところが普段我々が言いたくても言えない様々な忍耐の苦渋を吹き飛ばしてくれる爽快さを感じる。しかも言ってる相手が事もあろうに「日本」国家だもんね。そしてその理由が「保育園落ちた」という切実な内容。その直後に説明なしに「日本死ね」とくるところも絶妙だ。文句無しにキモチいい。

結局、僕の感想は一番気持ち悪い流行語大賞は「神ってる」。

そして一番気持ちいい大賞は「保育園落ちた日本死ね」となりました。

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「いちご白書をもう一度」が大嫌いだった!

あの当時、僕は「いちご白書をもう一度」の歌が大嫌いだった

フォークソングは好きだったが、四畳半ソングと言われていたものが嫌いだった。

かぐや姫の「神田川」やグレープ(さだまさしのユニット)の抒情溢れる歌が大嫌いだった。特に「いちご白書をもう一度」は嫌いだったし、生理的に受けつけなかった。

時代と自分がモロカブリだったのだ。

ほぼ完全にと言っていいほどシンクロしていた。

赤い手ぬぐいをマフラーにして銭湯の前で僕を待っていた彼女がいた。

もう若くないさと髪を切った僕がいた。

冗談じゃない!

いい加減にしてほしかった。

センチメンタルな音楽でわかった様なことを歌う世の中にうんざりしていた。

映画の「いちご白書」の方は大好きだった。公開当時17才だった僕は、心の琴線をモロに弾かれボロボロに泣いてしまっていた。その年僕は学校封鎖に関わり1週間の停学処分を受けていた。アメリカンニューシネマが台頭し、「イージーライダー」「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」が立て続けに僕の青春を彩っていた。同時にフランスのルルーシュ監督の「男と女」やメルビルの「サムライ」やロベール・アンリコの「冒険者たち」といった極めて上質な抒情とセンチメンタリズムの洗礼を受けていった。そんな最中の映画「いちご白書」は僕にとっては特別な想いの作品だった。だから、「いちご白書をもう一度」はとても許すことなど出来なかった。荒井由実の作詞、作曲。ユーミンは好きだが、この歌だけは許せなかった。特にみんなが好きだというところの歌詞が大嫌いだった。あまりに表面的な歌詞と安っぽいセンチメンタルな(当時感じていた)曲に嫌悪感で一杯だったことを覚えている。

しかし、あれだけ嫌いだった「いちご白書をもう一度」だが、今では何気に口ずさんだりしている。いまだに当時の思いは変わらないが、なぜかそれはそれとして全てを許している自分がいることも事実なのだ。もうこだわりは無い。ムキになるほどの若さはとうの昔のことなのだ。今では、もう若くないさと髪を切るくだりの歌詞に当時を懐かしむ大人たちにも優しい気持ちになれている。それはそれで世相だし時代に反発していた自分もそんな世相の一部だったのだ、と今は思えるようになった。

人の感じ方はいろいろだ。人はそれぞれに思いがあるもの。独りよがりは若さの特権だったのだろう。

あの時の嫌悪感を思い出すとき、様々な後悔、悔恨さえ懐かしく思い出され、胸の奥がすこし熱くなる。

だからなのか、今ではちょっとだけ好きになっている。

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今って、デフレスパイラル? それとも、安倍のスパイラル?

謎の発言「物価も上がってるが、給与も上がっているじゃないか」

なぜ政治家はそんなことを言うのだろうか?

政治家は官僚の作った数字を根拠にしているから?

政治家も官僚も庶民の生活の実感からほど遠いところにいる人たちだ。

庶民とは、日本の7割から8割を占める中小零細の企業の人たちで支えられているわけで、ほとんどの会社で給与は上がっていないのが現状である。

ところが、給与水準は少ないながらも上がっていると言っている。

その根拠とは、つまり、少数の大企業が数字を上げているからに他ならない。

数字はトータルすると、上昇していることは事実なので、そう言っているわけだろう。

もちろん政府は、数字の内容を知らないわけもなく、当然わかった上での、つまり確信犯ということになる。

でも、ほんとのことを言ったらアベノミクスが上手くいってないことになるから、知らないふりだ。

そうやって、時間をかせいでいる間に内容が追いつけばいいと思ってるのかなもしれない。

嘘はついてない、ということだろう。

しかし、言葉って空しい。

実際の生活が苦しくなっているのは本当のことだから、物を買わなくなり消費の落ち込みは避けられないから物が売れない、不景気は続き、やっぱり給料は上がらないという悪循環は続いていく。

もはや、デフレスパイラル! と言ってもいいのか‥‥

いや、安倍のスパイラル!

政府は大企業に設備投資を強要してるが、経団連も法人税を下げろと対抗している。

どっちにしても、全ては大企業頼みという構造は変わっていない。

一般庶民の生活の根本政策が無いから、この先も暗ーいカンジは避けられそうもない。

安倍のスパイラルは深く静かに潜航していく。

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性犯罪とは究極の自分本位!

多発する性犯罪の謎

最近の痛ましい事件を思うとき、性犯罪の恐ろしさにを考えてしまう。

いつからこんなことになったのか?

多分、今に始まったことではないのだろう。

或はメディアの発達でクローズアップされやすくなったことで、多発しているように感じるのか?

いったい性の犯罪とは何なのか?

人間にとって性の欲望とはとても根源的なものであって、なくてはならない欲求なのだろうか?

それは、ある種の人によってはとても切実で、その欲求を制御することが出来ないものなのかもしれない。

制御できないとは、自分で自分をコントロールできないということだから、もしその欲求が反社会的なものであれば、すなわち犯罪を犯してまで欲求を満たしてしまわざる負えないことになる。

欲望の理由は生まれつきの性癖かもしれないし、育った環境かもしれないし、その理由は様々だが理由を知ったところでどうなるものでもないのだろう。

世界中で今起きている犯罪の多くは性に関わる事件だが、殺人や、誘拐、監禁等の理由が自分のセクシュアルな欲望を満たそうとするそれは、究極の自分本位だ。

古今東西、人の歴史は自分たち自身の性欲との闘いなんじゃないかと思ってしまう。

それほどに人は進歩なんかしないし、愚かなままだ。

昔から戦争をし続けているし、一向にやめる気配すらない。

人は学習能力がほとんどないとしか言いようがない。

戦争を繰り返すといことはそういうことだろう?

だから、人は、自分は、もっと謙虚にならなきゃいけないはずだ。

もしかしたら、自分の中にある性の欲求、欲望を見つめ直した方がいいのかもしれない?

ごく普通に生きて生活している人と性犯罪とは、はたして無関係なものなのか?

あまり自分の中を覗き込んで、寝た子を起こす的なことにならないようにしたほうがいいかもしれない。

自分の中に何が眠っているのか‥‥

知れたものじゃない……

まさか‥‥‥ね。

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何が起きても不思議じゃない!トランプだって…

レーガンだって大統領。トランプだってなるかもだ!

有り得ないと思っていたが、今現実となる可能性が出て来た。

こんな事態を見ていると、本当に世の中には有り得ない事なんか無いんじゃないかと思えてくる。

この現象はアメリカの闇の深さというよりも、もっと一般的な庶民の普通の不満の塊が巨大なマグマのようになって噴出している感がある。普通の人々の普通の不満の濃度が濃いい印象がある。

トランプを大統領候補ににまで押し上げてしまったアメリカ社会の怒りのエネルギーは、今や収まるところを知らない。

もしも本当にトランプ大統領が誕生したら、日本の政治も経済も大きな打撃を受けることだろうが、そんなことよりもっと怖いのが、対立国との折衝に於いて特に北朝鮮とアメリカのの対立はエスカレートして行くことが想定される。そうなると日本もいやがおうにも引きずられていくだろうし、今やすでに戦争が出来る国になっていくような気配すらあるニッポン国…キナ臭い事このうえない。

僕たちの世界、いや僕たちの子供たちのこれからの世界が心配だ。

こんなに殺伐混沌とした世の中で、子供たちは今精一杯生きている。もっと人生を楽しんで欲しい、楽しい事をいっぱいしてほしいと切に願っているが、人生甘くないようだ。

だから何よりも、平和だけは維持してほしいもの。

そして何でもありのアメリカよ、どうか冷静になって欲しい。

一時の熱狂に身を任せ、一か八かの賭け事のようにならないでほしいものだ。

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都知事選、誰にする?

ここに来て、迷ってる

小池百合子が手を挙げたタイミングは、桜井パパを封じ込める絶妙なタイミング!

立候補の瞬間にやられた!と感じた。

ひそかに彼しかいない気がしていたからだ。

あくまでも、気がしていただけだが。つまり、知らなかった人だけど、でもなりたい人じゃなくて能力を認められてるのにやりたくない人がやればいい、と思っていたからだ。

その後の小池女子の打つ手打つ手が自民党の幹部たちを歯ぎしりさせる様は痛快なところがあって、これなら小池女子で決まりだなと思ったものだ。正直、お世辞にも好きになれないタイプの人だったのが、それほど気にならなくなっていた。

そこに、鳥越俊太郎の登場だ。

ビックリだ!へーっと思って、やっぱ鳥越さんだろうとなった。信用できる良い人の印象しかない。この際、経験とか能力とかより一番大切なのは誠実な人間性なのだから。リーダーに一番必要なものは誠実さである、とかのドラッカーも言っているではないか。その点はサラリーマン時代に嫌という程思い知らされているからね。これで決まり。

ところがだ、その鳥越さんが何だか変なのだ。とにかく都知事になりたい、ならせてください!と連呼することにまず違和感を持った。さらにテレビで話し始めたら、これがあの鳥越さんなのかと思う程に話の内容が薄く、ピント外れな印象を持ってしまったのだ。更に話が上手くないのだ。いや、むしろヘタといってもいい。説得力に欠けてしまう程にだ。困ったなと思ってしまった。

そうなれば増田ひろや氏になってしまうのか。能力ありそうだし、まともそうだな、となるのか?

しかししかし、こうなるとどの候補もヤバイ過去が取りざたされることになり、知りたくもない?ことが飛び出てくる。今や信ぴょう性の点で信用ぴか一の週刊文春で鳥越さんが女の問題でやられちゃったし、何にもなさそうな増田さんは舛添氏並みの悪行が露呈されている始末。

もう、わかんないよ!というカンジだ。

選挙やめようかな、と思ってるぐらいの今であります。

選挙を考える時に政策第一と言うけれど、もちろん政策が大事なことぐらい百も承知で言うんだけど、その政策を言う表情や言葉遣い等の話し方からもその人の人間性を見てしまうものだ。どんなに良いことを言ったって、こいつ信用できないと思われたらそれまでだ。

更に最近ではありとあらゆるところから情報が押し寄せる。マイナスの情報を知ってしまうだけでも、それが正しいのかどうかより何となく疑心暗鬼になってくるもの。週刊誌を読んだりしたら影響を受けてしまうのは仕方のない事だろう。鳥越さんの記事はまだ読んでないけど、後で買い物に行く予定なので、もう絶対立ち読みしてしまうだろう。そうなったらどうなるのだろう。今日の発売日の前日に鳥越氏から文春に抗議文送り後日刑事告訴する予定、と今日の新聞に出ていたが……。

どうなることやら、と思ったら今テレビで小池氏に対して殺害予告があったとのニュース。

どこまでエスカレートするのか?何だか興味深々の趣きだ。

さあ、どうする!

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幸せになるために/こだわりから解放されなきゃ!VOL-4

こだわりを捨てなきゃだよ!

人はどうして、こんなにもこだわりたがるのだろう?

とは言え、こだわりは人を面倒にするだけだと言うつもりもない。

何故なら、こだわりは人やその生活を豊かにすることもあるからだ。

それにしても、こだわりって、ただ生活してるだけなのに塵が積もるように増えていく。

それは、生活することが何かを選ぶ事の連続だからだろうか。

あらゆる場面で僕たちは、何かを選択し何かを決めている。そうしなければ物事は進んでいかないからだ。

選択や決定は何かと何かを比較検討することからスタートするが、人は知識と経験から培った価値基準や好みからそれを判断する。

そこにその人独自のこだわりが介在するわけだが、こうでなければならないといった基準が有ったり無かったりも真実だ。

確かな事は、歳を重ねると経験値がいたずらに増えるからなのか、その人なりのねばならないが増えてしまうことは避けられない。

年寄りにめんどくさい人が多いと言われるのは当たり前のことなのだ。

つまり、歳を重ねれば重ねる程にねばならないが増えていくので、大したことのないモノはどんどん消していこう!ということなのです。

よく考えてみればこうでありたいとか、こうでなければならないとか言うことの中身にはそれ程大した意味も根拠もなさそうだ。ただそう思い込んでいただけだったなんてこともよくある話で、この頃は自分の生活の些細な決まり事のようなことを敢えて崩しみたりする。すると、案外今までは何だったんだろうと思うことの方が多く感じている。で、やってみると意外に気持ちの良いものだということが最近わかった次第だ。

生活が気持ち良くなることは、とてもいいことだ。

だって幸せになることだから。

こだわりなんて全部捨てちまえ!

なんてね。

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還暦過ぎてセブンでバイト/49日目 VOL7 end

2016/7/7

セブンバイト /49日目

セブンってブラックだったの?

初めてのコンビニバイトがセブンイレブン。

そして4ヶ月が経ちようやく慣れ始めてきて、今一番思うことはコンビニってこんなに暇な時が無い程忙しく大変な仕事だったのか!ということ。

同僚に言うと、コンビニ経営は楽じゃないからギリギリの人員で人件費で抑えるし、時給も最低賃金だし、セブンは他のコンビニに比べて忙しいからブラックって言われるんだとのこと。セブンでも楽な所も有るらしいけど…

そこでネットで調べると、当たり前だが千差万別で様々だ。とはいえ、大変なところが少なくないらしいこともわかった。それもかなり劣悪な環境。それに比べれば僕の場合は忙しいだけで有難いことに環境はむしろ良い。

しかし客の多くがお金をカウンターに投げたり落としたりにはまだ慣れることはできない。

ベテランの同僚に聞くとこの地域の住人の質が悪すぎるらしい?だがその人はいつも酷いことを言われていていつも怒っている。それも僕だったら立ち直れないようなあからさまに有り得ない言葉を投げつけられている。まるでその人が客の悪い感情を呼び起こさせているようにさえ思えるほどだ。

そこだけを見ても、コンビニ業務、なかなか奥が深いのかも…

それにしても大分慣れてきたことだし、この辺でコンビニブログは終わりにしよう。

2016/7/7

追記

翌年の5月にコンビニバイトを終了しました。

不定期に諸々忙しくなってきた事が主な理由ですが、1年強のコンビニバイトの経験は充分に堪能しました、ということでもありました。

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幸せになるために/ストレスチェックVOL-3

自分のストレス度合いを知ろう

まさか自分がストレスにやられるなんて!

今年に入って、二度もやられていまったという自覚がある。

最初は年明け早々のメニエール病だ。思えば、珍しく幾つかのストレスを自覚していた。

ストレスが重なるとキラーストレスという相当ヤバイモノに変態するらしい。

云わば変態/メタモルフォーゼというやつだ。

ひどい時は死に至るというから、恐ろしい。

二度目は新しい仕事に挑戦していた時だが、自分にとってはハードルの高い挑戦という趣きであったため、毎日がそれ相応のストレスを感じていた。そんなさ中にひどい風邪を引いてしまったのだ。仕事を辞めて丸3年風邪など引いていなかったのに、引いてしまった。やっぱり、ストレスか?

この前NHKの番組のストレス特集で知ったのだけど、「ライフイベント ストレスチェック」というものがあって、ストレスは悪い事だけではなく良い事もストレスになるという。つまり日常の変化は全てストレスとなるらしい。だから、結婚も昇給も収入の増加も全てストレスになるということだ。実際にストレスチェックを試してみると、どうやら自分は充分に病気になるだけのストレスを受けていたことがわかってナットク。一年間に経験したイベント(出来事)=65項目を合計して、どれくらいストレスが蓄積しているかを把握する方法だ。

ちょっと大袈裟かもしれないけど、極端な物言いをすれば、生きるという事はストレスとの闘いだ。どうやって上手くストレスと付き合っていくかという事でもある。

そうなると、人が幸せになるためには、どうやってストレスを受け止めたり、流したり、解消したりしていくのかということがとても重要なことになる。

あなどってはいけないらしい。

自分だけはそうはならないという気持ちは、根拠のない自信だと思った方がよさそうだ。

ストレス!怖いようー!

あっ、怖がるのもストレスだったね!

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幸せになるために/自分が特別じゃないことを知ること VOL-2

舛添要一から学ぶ「特別な人間」について

都庁

今となっては元都知事となった舛添要一の今回の騒動では、かつての彼の言動のTV映像をいくつか観ることとなったが、それは本人自身が言うように天に向かって唾吐く言葉ばかりだった。

中でも特に印象的だったのが「平等」である。

彼は何故か強く人の平等にこだわっていたようだった。

それを見た脳学者の女性が「自分を特別だと思っている人ほど人の平等を言う傾向がある」と言っていた。これはある実験の結果らしいのだが、なるほどと思った。

つまり、舛添氏が舌鋒鋭く切って捨てるが如く批判していた内容は、特別でない普通の人間は批判の対象とするが、自分のような特別な人間は何をしても許されるという理屈らしい。

だから、今回のことも自分の中では当然のことをしていたまでで、彼にとっては何も批判されることのない当たり前のことだったらしい。

そう思えば騒動中の彼の終始怒っているかのような表情もすべて納得がいくというもの。ブーメラン発言と言われているが、彼が投げた言葉は真っ直ぐにその対象に届くはずの言葉であって、ブーメランとなって自分に返って来るはずの無いものだったのだろう。

つまり、実は本人の思いとは裏腹に、彼はごく普通の人だったというオチだ。

やはり、幸せになるためのキーワードは「自分が特別な人間ではないことを知る」ことなのか。

なんだか、あまりに空しい人の愚かさを見てしまったような後味の悪さが残った。

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幸せになるために/自分が特別じゃないことを知ること VOL-1

自分は特別な人間ではない

幸せになるために大事なことは、自分が特別な人間ではないことを知ること

なぜなら、もし自分が特別な人間であるならば、特別な人間である自分は人より優れている特別な状態とか環境に居なければならないが、なかなかそうはならないのが現実で、そのギャップに他人をうらやんだり、嫉妬したり、自分の不運を呪ったり、後悔したりで、幸せとは程遠いことになる。

ところが僕も含めて多くの人が、ある種のプライドと共に、自分は人とは違うのだと思っている節がある。自意識とプライドは自己を特別視していくことに繋がるのは、ごく普通のことだろう。

若いころの恥ずかしい思い出のひとつに、会社の先輩から「君は自分を特別な人間だと思っているだろう」と言われたことがある。今にして思えば、その人も自分は人とは違うんだという自意識を強烈に周りの人に感じさせるような人だった。だからこそ僕を観てそう感じたのだろうと容易に想像できる。

しかし、そもそも他人と自分を比較することが意味の無い事でしょ。

自分は自分にしかなれないんだから。

とはいえ、他人と比べることの無意味さを理解することは、言うほど簡単なことじゃない。

今、60才を過ぎてようやく誰かに対して素直にうらやましいと言うこともできるようになってきた。その心理をちょっと自己分析してみると、本当はそれ程うらやんでないらしい。つまりうらやんでいないからこそ人をうらやましいと簡単に言うことも出来るという、ちょっと矛盾していることになったのである。

言い換えると今の自分に自信が無いと他人と自分を比較してしまうが、自分に自信があると他人と自分をあまり比較しなくなる。

自信があるとは、自分を肯定しているとか、自分を好きならと言い換えてもいいのかもしれない。

となると、今自分は自分に自信があって自分を好きということか。

今の自分を好きになれるかなれないか?

うーん、なんだかむずかしくなってきた。

自分を大切に思うとか、一番に思うこととかとはちょっと違うし…

自分を好きになることと自信を持つことの関係性?

取り敢えず、多分だけど…

幸せへのはじめの一歩は、自分を好きになるということ!でいいんじゃないかな?

ものすごく当たり前の結論になってしまってどうしよう!

まっ、いっか、幸せは自分の中にしかない!っていうよくわからい事を言って今日はおわりにしようっと。

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還暦過ぎてセブンでバイト/29日目 VOL6

2016/5/17

セブンバイト /29日目

3週間前、ひどい風邪をひいた

1ヶ月以上経ち、ようやく慣れはじめてきたところの体調不良。

眼が細菌性結膜炎で真っ赤になり、瞼も腫れて三分の一程度しか眼を開けられなくなった。

しかも、出ずらくなった声で接客したら、ほぼ声を失ってしまった。

意志の伝達はささやき声だけ。

以前の仕事場であるならいくらでも休めたし、ここぞとばかりに好きなだけ休暇を取ったに違いないけど今はいちアルバイトの立場。いくら半人前とはいえギリギリ少人数でやり繰りしていることが分かるだけに、休むわけにはいかないと思ってしまったのが運の尽き。

有り得ない状態にもかかわらず、出勤したのであります。

仕事は色々あるものです

そんなんで仕事出来ますか?

「出来ます、声さえ出さなきゃ」とウィスパー高木は答えたのです。

その日は雑誌の整理と品出しと廃棄の管理、タブレットのようなハンディスキャナーでメモりながらのカップ麺等の品出し等々。やることは色々あるもんだ。

次の日はなんと冷蔵室の作業。風邪ひいてるのに……なんで冷蔵庫の仕事?何だか背に腹は代えられぬ的な感じなのか?

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ドリンクコーナーの後ろが巨大な冷蔵庫になっていて、いわば倉庫なのだがそこに籠って商品の整理と品出しをする。真冬のジャンパーを着込んで冷蔵庫のスイッチを切ればなんとかなる。但し10分毎にサーモが作動してスイッチオンになるので、その度に外に出てスイッチを切る作業を繰り返せば1時間でも入っていられるのだ。その間ドリンクは冷えないけどね。でも風邪ひくよりはマシだから、もう風邪ひいてるってーの!

声もある程度出るようになり、よううやくレジに入れるようになったのは5月の連休が終わってから。

3年ぶりにひいた風邪は、3年分の風邪らしい。

そしてまだ治りきっていない。もうすぐ1ヵ月が経とうというのに。

参った。

2016/5/17

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違和感満載!「勇気と元気を与えたい」

2016/4/27

誰でも言っちゃう「勇気と元気を与えたい」

特にスポーツ選手や芸能人がよく使う言葉だ。

ちょっと前までは少し恥ずかしそうに言っていた感じがあったのに、今ではみんなすっかり当たり前のように、すらっと言っている。

誰かが誰かに「勇気や元気を与える」ことは、もしそれが出来るなら素晴らしいことだと思う。

でも、勇気をもらったとか、元気になったとかは相手側が言うことであって、自分から言っちゃうなんて、ちょっと気恥ずかしい。だからその言葉を聞くといつも違和感を感じていた。どうしてそんな簡単に無邪気にに「勇気や元気を与えたい」なんて言えるのだろうか?

ところが、言われている側も「勇気と元気をもらった」と言う人が意外にも多いことに驚かされるのだ。

そうなると、自分の思っていたことがバカみたいで、それこそつまらないこだわりに感じたり、ただの理屈っぽいたわごとに思えてきたりする。

つまりはこういう事か。

ほとんどの人たちがそうであるなら、それでいいということか。

なら、全くそれでいい。

つまり物事はもっと単純明朗快活でいい。

もはや市民権を得た言葉として「勇気や元気を与えたい」は堂々群雄闊歩している。

でも…

自分の考えや感覚を声高に言う気はさらさら無いけど、この違和感は密かにでも持っていなきゃいけないというちょっとした思いからこんな事を書いているわけで、とここまで書いてきてひどく空しく馬鹿馬鹿しい気分…

どうでもいいか…

ひゃー、最悪ブログ!

でもこのままにしとこう。

この何ともモヤモヤと割り切れない感じはよく出てるので、あえてこのままにしておこう。

2016/4/27

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はじめてヤフオクやってみた!

はじめてヤフーオークションをやってみた!

ブランディアに出したら、超安く査定されたので返却してもらい、今度はヤフオクに出してみた。

ブランディアは査定が気に入らなければ、出した品物を戻すことが出来るので気楽に出すことができる点はいいところ。

但し、むちゃくちゃ安い。手間が省けてお金になる代わりに、安いのは我慢しろということだろう。

で、ヤフオクだが、結論から言うと、やって良かった。

ブランディア:¥17,000

ヤフオク  :¥49,280

となった。

品物はというと

サルバトーレ・フェラガモのダークブラウンの本革のジャンパー。

自分で言うのも何だけど、メチャメチャ柔らかい上質な皮で、まるでシルクのような肌触りの、いわゆる美品です。

落札者も品物の上質さに非常に喜んでいただけたので何よりでした。

でも良いのは当たり前で、4年ほど前に¥386,000(税抜き)で購入し、しかも10回も着ていないからとても状態がよく、本来は自分で気に入って買ったものだし長く着ようよ思ったのだけど、サイズが合わなくなってしまったのでやむなく手放すことになった一品。

正直言ってヤフオクは初めてだったので思ったより大変だった。

商品の説明は身幅等の細かな採寸は勿論のこと書かなければならないことがかなりあった。商品写真の添付だが普通は3枚しかできないところ、他に10枚添付する方法があったりでマスターするのにそれなりに時間がかかった。商品をアピールするために3枚ではさすがに少ないのでそれは必須だった。その他諸々設定項目があり初めてだといちいち面倒だった。

値段設定はヤフオクサイトにアップされている同じような品物を参考にしたのだが、結局写真じゃよくわからなかったので、適当に売りたい値段を付けた。

¥77,000でスタートし¥10万なら即落札という設定にした。

5日間をサイクルにして一回目の5日間で入札がなければ20%値を下げて2回目、さらに3回目も20%下げるという設定にしたところ最後の3回目で入札がありギリギリ落札となったわけです。あぶなく入札無しで終わるところでした。

見てくれた人は100人位いて検討していた人が3人で入札者1人。

ヤフオク、結構難しいかも。

でもこれで大体わかったので、今度はサングラスでも出してみようかな…あっそうだ、ブランディアに5本も超安値で売っていしまっていた。

もったいなー!

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還暦過ぎてセブンでバイト/12日目 VOL5

2016/4/7

セブンバイト /12日目

シニアバイトはコンビニ最適?

何気に、静かに傷ついた。

「初めにボックスかソフトか聞かないとだめだよ」とタバコを買った中年男性客に諭すようにそう言われた。

しかし実際はソフトしかないものもかなりあるために、結局はほとんどの銘柄を把握してからでないと注意されたようなことを事前に聞くことは難しい。
以下心の声「そりゃそうだよ、知ってればね!だけどあんた、200種類からあるタバコの中であんたの言ったタバコにボックスとソフトがあることなんて知らねぇよ!あんたは自分の銘柄だから知ってるだけだろ!」
いや、実はそんな話しではない。知らなきゃいけないことは当然わかっています。仕事なのに、なにを甘えたことを言ってるんだと、自分でもわかっています。でも、正直言ってちょっぴり傷ついたのも事実だ。自分よりかなり若そうな人に、60才を過ぎて当たり前のことを言われるのは案外キツイものだということが良く分かる。特にそれまでの仕事があまり人からとやかく言われない立場に居た人間ほどきつくなる。

仕事の種類に関わらず、この年齢で新しい事をするということは、そういうことだ。

出来ないことが色々あるので、程度の差こそあれ様々な場面で味わうこととなる屈辱的な気分は、避けることは出来ない。一日4時間しか仕事をしていないが日に何回も同じような気分を味わっている。

これは、すべてにおいて出来るようにならない限り続いていく。

コンビニの店員の仕事は普通に出来て当たり前で、少しでももたつくと何やってるんだとなる。そういう意味では実は出来るようになるまではなかなかハードルの高い仕事だと思う。コンビニワークには今までやってきた仕事とは違ったプレッシャーを感じている。

こんな事、実際に体験しなけりゃ絶対に分からなかったこと。その意味でもコンビニバイトやって良かったと思ってるし、大げさかもしれないけど、世の中の事少しだけだけど前より分かった気さえしてくるからある意味情けない。

やばいよねー!出来て当たり前の仕事って!

これって、認知症もそうだと今気づいた。

ボケると今まで出来て当たり前だったことが出来なくなるところが似ている。

認知症になったら、その屈辱感はコンビニ店員どころじゃないだろうな。

急に完全にボケるわけではなく、徐々に進行して行く中で正常な時にボケた自分を認識することは辛いし情けないことだろう。

そこで思った。コンビニシニア店員はボケ防止に最適なんじゃないかと。

そこでいい点を挙げてみた。

1)頭や手を頻繁に使うのでボケ防止にとても良い(最近こんなに頭を使ったことない!)

2)動きながらの立ち仕事だから足腰が丈夫になる(運動以外で最近こんなにずうっと立っていたことがない!)

3)働いている時間中、ほとんど大きな声を出している(これ案外重要かも、普通の生活ではこんなに声を出さない)

4)多少の収入になる(低所得と言えども定期収入だ)

こうやって見て見ると、シニアの生活を支える重要な要素がほとんど備わっているような気がする。

てことでシニアバイトはコンビニ最適かも?です。

但し、ここが肝心なんだけど、鈍くなってる頭と格闘しつつ数々の屈辱にもめげないでいられたら、という条件付きだけど…

2016/4/7

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2016年/武道館周辺の花見 

この春、二度目のお花見です。2016.3.29 Tue.16時~。

九段下駅で降りて、武道館周辺のお花見。まだ三分咲き位でしょうか?

でもかなり咲いているところもあって、そこを中心に写真を撮ったら案外咲いているような感じになりました。

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ほとんどの場所は二~三分咲きです。

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満開には程遠いので、人の出も大したこともなく、歩きやすい。
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今日は風速6mの強風のためボートは出ていませんでした。それはそれで、いい感じ?

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還暦過ぎてセブンでバイト/7日目 VOL4

2016/3/28

セブンバイト /7日目 今日一番のミスは…

今日は、もしかしたら大きなミスがないまま終わるのか、と思ったら落とし穴が…

セブンってnanacoカードってもんがあって、セブンだけじゃなくイトーヨーカ堂、デニーズ、LoFT、ビックカメラ、ヤマト運輸、等々で使えてポイントもたまる便利なモノがある。

支払いは、現金、nanacoカード、その他様々なカードと色々で、nanacoカードは当然お金のチャージ作業も発生するし、支払いは現金との混合も有り得る。

まあ、そういうことからのミスなのだが、今日のお客さんは顔色を紅潮させて怒った。瞬間的に怒った。あまりにに怒るので、その場にいた全員の3人がかりで謝った。

日に2~3人は怒らせているかもしれないな。

今日は一人だけだった(多分?)のが救いか。

2016/3/28

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還暦過ぎてセブンでバイト/6日目 VOL3

2016/3/27

セブンバイト ー6日目ー 

今日4時間ほとんどレジだった。

終わってみて、かなり疲れてることに気がついた。

こんなにいっぺんにレジをしたのは初めてだからな。

今日一番のミス!

揚げ物を二つ入れ忘れた。勿論お金はもらっていないが、注文は受けていた。他の人が覚えていて、商品が二つしか無かったのに二つ残っていることで気がついた。

そこで、防犯カメラでチェックするとそのお客さんはレシートをもらわずに帰っていることもわかった。多分、帰ってから気がつくが、連絡してくれればいいけど…。(それにしても、防犯カメラ凄くない?)

やっちまった!あやまったが、優しい言葉で慰められた。「よくやるんだよ。僕も…私も…」

二度はしないように、気よ付けよう。

でも、問題はなぜそうなったかだけど、案の定いくつか重なっていた。公共料金の支払いとおにぎり大量の内何個かを選んで温めてほしいとの依頼&コーヒー&揚げ物。同時にやらなければならないけど、それでも一つずつ確実に意識しないとダメなんだろうな、きっと。

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還暦過ぎてセブンでバイト/5日目 VOL2

2016/3/17

セブンバイト ー5日目ー 

日、月と続けてやったので少し慣れた気がしたが、2日空くことでまた戻ってしまった。

忘れるよなー。

しかも、初めての午前中から昼飯時なので、最初から少し緊張気味。

もたついていたら、客にモロに嫌味を言われた。

もたついたり、ぎこちなかったりすると露骨に嫌な顔してくる客が時々いる。

余計にプレッシャーを感じて更に間違える。

アー、最悪!

でも、入荷チェック、品出し、廃棄処分はだいぶ覚えた感じがする。

やっぱり、問題はレジだな。

次は日曜なので中2日か…。

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還暦過ぎてセブンでバイト!VOL1

2016/3/21

セブンイレブンでバイトを始めた!

現在62才、5月で63才、男、年金受給中。    

仕事辞めてから3年経ち、そろそろ少し働いてみるかなと65才までの年金フル支給までの2年余りを働くことに決めた。

条件に合致する働き口はコンビニなのだと気づき、セブンイレブンで働くことにした。

コンビニで働く理由

1)シニアもOK。

2)曜日、時間を選べる

3)週何日でもが可能

4)短時間も可能

結果、13時~17時、週3日 に決定。

今まで週4回テニスをしていたのが2回減ってしまうけれど、今までがやり過ぎなので丁度いいかも。

時給¥907 なんと!東京都最低賃金!!

ちょっとびっくりしたが、まあいいか。

今日で4日目を終了。

初日と2日目は2時間。3日目から4時間勤務。

ここまでの感想は、一言で言って、コンビニ勤務はむずかしー!

 

働いてみていやだなーっと感じることが二つ。

1)仕事始めの儀式

以下の「誓いの言葉」と称する文章の真下に鏡が置かれていて、その鏡の自分に向かって、なんと音読するのだ。

~誓いの言葉~

今日も一日 私たちは自信と情熱を持って

お客様には最大の満足を

お店に商品に対し 深い愛情を注ぎ

奉仕の精神を忘れることなく

自ら希望達成のために 努めます

~接客七大用語~(これは一つづつ言い終わったらお辞儀をするのだ!!)

1、いらっしゃいませ

2、はい、かしこまりました

3、少々お待ち下さいませ

4、申し訳ございません

5、ありがとうございました

6、またお越し下さいませ

だからお辞儀は6回、鏡の自分に頭を下げる!

初めは、かなりショックでオレ大丈夫か???

相当な抵抗を押し隠し決行する!

うーーー、辛い!

抵抗感ハンパナイ。

ところが、4日目、思いがけず慣れた!

全然いける。なーんてことないって、一応思った。

2)服装の決まり。

ネクタイにシャツ、ダーク系の綿パンツでジーンズ禁止、黒系のスニーカー。

せっかくサラリーマンを辞めたのにマジかよ!と思ったが、これも案外どうってことなかった。

案外オレ自分で思っているより何でもいいんだなと思った。

こだわりが無いのは自分としてはとても良い事なので、ヨカッタ、ヨカッタ。

それより何より問題は、コンビニ作業の難しさ!

みんさん、やさしく慰めてくれたり元気づけてくれる。(今だけかも…)

初めから出来る人はいないとか、徐々にだからねとか、色々と言ってくれる。仏の顔も三度までと思い頑張るが、4度5度と続くとさすがに焦る。

正直言って、出来ない自分が受け入れにくい。60過ぎて全く畑違いの仕事をするという事は、なかなかどうして大変なことだなと実感。若い時と違って頭が回らない。コンビニの作業は煩雑且つお客さんが待っているさ中では、自分のペースで覚えることなどできない。出来ないことを繰り返すことで徐々に出来るようになっていくしかないというかんじ。

つまり今は仕事が出来ない自分と向き合ってるわけで、このままだと出来ない自分に自信を失ってしまう。

だから何が何でも一人前になるしかない

目標は一人前のコンビニマン。

 

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人生、複雑に反射する人

2016/3/19

若い時期ほど、暗い人に魅力を感じたものだ。

屈折してる人。生き方がこじれてる人。

世の中の光に複雑に反射している人は魅力的に見えたりする。

 

若いときは、何の苦労も屈折もなく育った人にはあまり魅力を見いだせなかった。

年を重ねた今は、苦労も屈折もなく、すくすくとまっとうに育った明るい人間の良さが、よくわかる。

そのことの大切さ、貴重さが、よくわかる。

好きでこじれたわけじゃないだろうし、好きで屈折したわけじゃないだろうけど、生き方がこじれてる人は可哀そうだけど、めんどくさい。

しかし、当の本人はうんざりだろうが、傍から見るといろいろと屈折したりして影がある人の方が魅力的に見えたりするからやっかいだ。

 

本当には孤独じゃない人が一人でいるのが好きだと言うのに似て、暗くて陰のある人が好きだという人は、だいたい自分は屈折からほど遠い人生を送っていることが多い。本当にこじれてる人は自分と同じような人はうんざりだ。

しかし歳をとるにつれ、人は放って置いても様々な様相を持つようになり、世の中の光に複雑怪奇に反射して、様々な出来事が起こるのだろう。

そここそが、人生の面白味なのかもしれない。

2016/3/19

 

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電力自由化コマーシャル/ツボを突いてるエネオス電気の「意気地なし!」

4月からの電力自由化

電力販売参戦各社、TVCMで顧客の争奪戦を繰り広げている。

そんな中、僕たちのツボを突いてるTVコマーシャルがエネオス電気。


CMは、車の中での恋人同士なのに、電力会社を選ぶ会話をしてる。

正直言って僕等は電力会社選びなんてめんどくさい。

でも、どこか選ばなきゃならないから選ぶことは選ぶんだけど、

なんか自信が無くて、保留、ペンディング状態。

これで正しいんだろうか?もっと他にあるんじゃないか?

でもめんどくさいなー。

エネオス電気のTVCMも「様子を見ようかと思ってる」と男は言う。

すると、女(吉田羊)が「意気地なし!」を連呼する。

まるで、自分が言われているような気になってくる。

そうか、意気地なしなのかって気になり、どこかに決めよう!

そんなうまいこと行くわけないが、でもそんな気分になってもおかしくない。

なぜなら、男は本来意気地なしと言えなくもないわけで、意気地なしの男は意気地なしと言われて、案外ほっとしたり、嬉しかったりするのかもしれないしね。

そんな男たちに向けた、いいところ突いてるCMなのかもしれない。

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実は超真面目に作った「石田三成×滋賀県」マジヤバのCM画

笑いは真面目にやるほど面白い

今回の滋賀県CMもそれだ


You Tube 公開後、巷では、あまりのインパクトの強さにあっという間にネットで話題になり、一般ニュースに取り上げられた滋賀県の宣伝CM動画。

世間の反応といえば、狂気のCM、頭おかしい、中毒者続出、腹筋崩壊、インパクト強すぎ、等々。

TVニュースで知ったのだけど、作った本人たちはいたって真面目。

本来の石田三成の人柄の良さをアピールすることで、滋賀県の良さを認知させたかったと、とても真面目に語っていた。

プロがこの線で面白さを狙うと、必ずあざとさが見え隠れして面白いんだけど面白くない感じ、になりやすい。

もしかしたら真面目さが期せずして持ちえた面白さが最強なのかも。

それも今回は超の付く真面目さが生んだこのギャップなものだから、凄いものができちゃった、ということか。

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若くても沁みてくる、高齢者の応援歌 !

「夜明けのメロディー」

 五木寛之/作詞、弦哲也/作曲、歌/ペギー葉山

〽 愛して 別れて

また どこかで 逢えればいい

ちいさな幸せでも

大事にしましょう

そっと口ずさむのは

夜明けのメロディー 〽

五木さんが言うには「高齢者の応援歌」

歳をとると、早寝早起きになって3時頃に目が覚めてしまうこともある。

でもこんな早く起きるとみんなに迷惑だから、イヤホーンでラジオを聴きながら布団の中で5時か6時頃までじっとしてる。

そんな時に聴こえてくる歌があればいい、と思い作った歌だそうだ。

長い人生、人はいろいろな人に出逢う。

しかし、出逢いは別れの始まりだ。

いつか必ず別れる時がやって来る。

どんな形であれ、別れはやって来てしまう。

それが、人生。

かつて愛した人も、今はいない。

愛して、別れて、いつかまた何処かで逢えばいい。

きっとそんな日が来ると、思えばいい。

そんなことをつらつら想う、「夜明けのメロディー」♫

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2016年/第88回アカデミー賞授賞式、差別トーク全開!

オープニングトークの差別問題マシンガントークの凄さ!

絶対日本ではあり得ないアメリカの差別の根深さと、それをおちょくる懐の深さ、同じ深さの絶対値の大きさに驚くばかり。

多分、アカデミー会員は今年の反動から、来年のアカデミーは候補に黒人が何人か入り、司会は白人(今回は黒人のクリス・ロック)で間違いないね。

さて、受賞は「マッドマックス・怒りのデスロード」旋風が吹き荒れた。まさにアカデミーロードを爆走した。

衣装デザイン賞、美術賞、メイク・ヘアスタイリング賞から始まり、編集賞、音響編集賞、録音賞と続き、と思ったらそこで止まった。

男女の助演の二人は、ノミネート紹介の映像を観て、この人の演技が凄いと思った二人に決まったので驚いた。助演男優賞/ブリッジ・オブ・スパイからマーク・ライランス、助演女優賞/リリーのすべてからアリシア・ビカンダー。

撮影賞は「レヴェナント 蘇えりし者」から3年連続のエマニュエル・ルベツキ、監督賞2年連続のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの連続受賞の驚き。

そして、ディカプリオの主演男優賞受賞の意外に落ち着いた受賞ぶりに感心。周りの期待の大きさは僕も同じで、22年前に獲るべきだった「 ギルバート・グレイプ」の助演男優ノミネートに始まる長ーい歴史を知るからこそ、今回の受賞の瞬間は自分でも驚くほど嬉しかった。

最後の作品賞は脚本賞受賞の「スポットライト 世紀のスクープ」が受賞した。脚本との関連では当然だが監督賞受賞のレヴェナントかと思いきやのサプライズだった。

今回の一番の感動シーンは、レディ・ガガの「ザ・ハンティング・グラウンド(原題)」で使われた楽曲「Til It Happens to You(原題、それがあなたに起こるまでは)」主題歌賞ノミネートのパフォーマンスだった。

ガガ本人も含むレイプ経験者達の舞台上の抗議のステージは、ガガの熱唱もあり心を打った。

やっぱりアカデミー賞授賞式って、けた外れのエンターテイメントなんだと改めて思った。

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