2016/4/27
誰でも言っちゃう「勇気と元気を与えたい」
特にスポーツ選手や芸能人がよく使う言葉だ。
ちょっと前までは少し恥ずかしそうに言っていた感じがあったのに、今ではみんなすっかり当たり前のように、すらっと言っている。
誰かが誰かに「勇気や元気を与える」ことは、もしそれが出来るなら素晴らしいことだと思う。
でも、勇気をもらったとか、元気になったとかは相手側が言うことであって、自分から言っちゃうなんて、ちょっと気恥ずかしい。だからその言葉を聞くといつも違和感を感じていた。どうしてそんな簡単に無邪気にに「勇気や元気を与えたい」なんて言えるのだろうか?
ところが、言われている側も「勇気と元気をもらった」と言う人が意外にも多いことに驚かされるのだ。
そうなると、自分の思っていたことがバカみたいで、それこそつまらないこだわりに感じたり、ただの理屈っぽいたわごとに思えてきたりする。
つまりはこういう事か。
ほとんどの人たちがそうであるなら、それでいいということか。
なら、全くそれでいい。
つまり物事はもっと単純明朗快活でいい。
もはや市民権を得た言葉として「勇気や元気を与えたい」は堂々群雄闊歩している。
でも…
自分の考えや感覚を声高に言う気はさらさら無いけど、この違和感は密かにでも持っていなきゃいけないというちょっとした思いからこんな事を書いているわけで、とここまで書いてきてひどく空しく馬鹿馬鹿しい気分…
どうでもいいか…
ひゃー、最悪ブログ!
でもこのままにしとこう。
この何ともモヤモヤと割り切れない感じはよく出てるので、あえてこのままにしておこう。
2016/4/27