あの当時、僕は「いちご白書をもう一度」の歌が大嫌いだった
フォークソングは好きだったが、四畳半ソングと言われていたものが嫌いだった。
かぐや姫の「神田川」やグレープ(さだまさしのユニット)の抒情溢れる歌が大嫌いだった。特に「いちご白書をもう一度」は嫌いだったし、生理的に受けつけなかった。
時代と自分がモロカブリだったのだ。
ほぼ完全にと言っていいほどシンクロしていた。
赤い手ぬぐいをマフラーにして銭湯の前で僕を待っていた彼女がいた。
もう若くないさと髪を切った僕がいた。
冗談じゃない!
いい加減にしてほしかった。
センチメンタルな音楽でわかった様なことを歌う世の中にうんざりしていた。
映画の「いちご白書」の方は大好きだった。公開当時17才だった僕は、心の琴線をモロに弾かれボロボロに泣いてしまっていた。その年僕は学校封鎖に関わり1週間の停学処分を受けていた。アメリカンニューシネマが台頭し、「イージーライダー」「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」が立て続けに僕の青春を彩っていた。同時にフランスのルルーシュ監督の「男と女」やメルビルの「サムライ」やロベール・アンリコの「冒険者たち」といった極めて上質な抒情とセンチメンタリズムの洗礼を受けていった。そんな最中の映画「いちご白書」は僕にとっては特別な想いの作品だった。だから、「いちご白書をもう一度」はとても許すことなど出来なかった。荒井由実の作詞、作曲。ユーミンは好きだが、この歌だけは許せなかった。特にみんなが好きだというところの歌詞が大嫌いだった。あまりに表面的な歌詞と安っぽいセンチメンタルな(当時感じていた)曲に嫌悪感で一杯だったことを覚えている。
しかし、あれだけ嫌いだった「いちご白書をもう一度」だが、今では何気に口ずさんだりしている。いまだに当時の思いは変わらないが、なぜかそれはそれとして全てを許している自分がいることも事実なのだ。もうこだわりは無い。ムキになるほどの若さはとうの昔のことなのだ。今では、もう若くないさと髪を切るくだりの歌詞に当時を懐かしむ大人たちにも優しい気持ちになれている。それはそれで世相だし時代に反発していた自分もそんな世相の一部だったのだ、と今は思えるようになった。
人の感じ方はいろいろだ。人はそれぞれに思いがあるもの。独りよがりは若さの特権だったのだろう。
あの時の嫌悪感を思い出すとき、様々な後悔、悔恨さえ懐かしく思い出され、胸の奥がすこし熱くなる。
だからなのか、今ではちょっとだけ好きになっている。