まさかこれ程厄介な事態に陥るとは思ってもみなかった
2017年全仏オープンテニス準々決勝のマレー戦は、錦織選手の陥った事態の厄介さを如実に証明する結果となりました。
人はいろいろ言っていますが、結局のところ問題はひとつのようです。
突如として、彼の集中が途切れるところです。
表情を見れば一目瞭然。
あらゆる場面の彼の表情にそれは現れます。
見られている自分を意識している表情のことです。
自分を意識している表情とは、プレーに気持ちが入っていない表情であり、無心とは程遠いものです。
ミスをしてしまった時の悔しい表情の中にも、思わず溢れた悔しそうな顔の直後にそれは忍び込むし、エースを奪った直後にも表れるのです。
トップテンが自分の定位置であると自覚し、ビック4を射程内にした時からでしょうか、他者を意識する自意識が、以前の謙虚とでもいうべきある種の必死な純粋さを奪ってしまったかのようです。
彼のワンプレーごとの、どこか他者の眼を意識しているかのような眼の動きや苦笑いの表情は、以前から気にはなっていたのですが、事ここに及んでは無視することが出来なくなってきました。
そして更に事態を厄介にしている要素があります。錦織選手のポテンシャルのあまりの高さが事態をより複雑にしているのです。
直近のマレー戦の第一セットに代表されるように、世界ナンバーワンの選手すら何も抵抗できないほどのプレーをやってのけるのです。これほどの才能に恵まれた選手にひたすら無垢に必死にプレーしろと言ったって、それはちょっと無理があると誰しも思うところでしょう。
ところがそんな彼に突如として不安定な自信喪失感が襲ってくるのです。結果として集中力が突然切れたように見えるのです。
実際、自信の喪失感は集中力を削ぐのだろうし、いきなりプレーのレベルが落ちてしまう。
それはかつての負の記憶と成功体験との闘いと言い換えることもできるでしょう。
全てのプレーヤーは勝つことが成功体験となり、失敗したプレーの負の記憶を成功へと上書きしていきます。
錦織選手が負の記憶のプレッシャーに影響されはじめたのは2年ぐらい前からでしょうか。その頃はまだそれほど重く受け止めていませんでした。当然のようにそのうち克服するものだと思っていたからです。
ところが、それは次第にむしろ深く彼の記憶を浸食するかのようにこびり付て離れなくなり、事あるごとに顔を出すようになり、最近では頻繁に現れるようになっていったのです。
どうやったら克服できるのだろうかという問いの答えは…
もしその答えが、純粋に必死になれていたかつての自分を取り戻すことだとすれば、むしろとことん落ちる事が必要なのかもしれない、と思うのです。
下から追い上げてくる若い力に抜かれ、同時代のライバルたちにも後れを取り、気がつけばロンドンのファイナルに残れないどころかランキングもトップテンからも転落し、更に20位とか30位台になってしまうといこと。
もしそうなればとても悲しいことだけど、そのようなことが彼の気持ちに火を付ける条件なのかもしれない、と思うのです。
とはいえ、一番いいことは、彼の才能が全てを凌駕していくことであって、錦織選手なら突然そうなっても不思議ではないし、いきなりマスターズやグランドスラム優勝なんてことだって有り得る気さえしますが、やはりさすがにそこまでは無理なのでしょうか?
正直に言えば、最近では、錦織選手ではないけれど自分が自分を信じられなくなっているカンジで、錦織選手を信じられなくなってきているという、とてもザンネンな自分の気持ちを認めざるを得ないのです。
それぐらい全仏オープン準々決勝のマレー戦の負け方がショックだったということなのですね。
でも戦いは続きます。
次はウィンブルドン、そして全米オープン。
いったいどんな戦いと結果が待っているのでしょうか?