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映画「ダンケルク」これが映画か!何度もそう思った!


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ここまで来たか!映画表現!

映画とは、かくも恐ろしい芸術なのか。

クリストファー・ノーラン監督が存在するこの世界では、虚構と現実の区別がつかない程の映画表現を獲得してしまったのだろうか。

映画は虚構の世界だが、或る意味ではリアルさを追求してきた歴史でもある。どこまで本物とか、現実のように見せるかを競ってきた。しかし、戦争の実体験のない世代の映画表現の世界では、もはや虚構が現実を追い越してしまったかのような錯覚すら感じてしまう。

戦争を俯瞰でとらえた巨大なスクリーンの世界の中に、さまざまな世界と物語がとらえられている。その瞬間に切り取られた時間に存在する人間には、それぞれひとりひとりに物語がある。母国へ避難を待つ40万人の兵士たち。桟橋に集まる様々な船。沈みかけてる大型船。燃える海。必死に泳ぐ兵士たち。空では爆撃機と戦闘機のバトル。同時に存在するそれぞれの戦いを生き抜こうとする兵士たちのサバイバルを、巧みな脚本で時間と場所を重層的に交差させ、生と死の境を明確に切り取っていく。


戦場で人が死ぬということの意味、理由、原因を観客に明確にしていく。彼は何故死に、もう一人の彼はなぜ死ななかったのかを見せていくのである。そこに居たから死んだ。そこを動くことが出来なったから死ぬという不運。必死に先を読んで生き抜こうとしたから生き延びた者と、同じように必死に生き抜こうとしたのに死んでいく者。その差に意味などはない。人間らしく生き抜こうとする者。人間性を放棄することで生き抜こうとする者。どちらが死んで、どちらが生きるかは運不運。生きるか死ぬかの境目にどのような意味や理由があろうとも、総ては無である、と映画は語っているかのようだ。戦争とはそうしたものであるということを描くこの映画は、同時にそれでも人間は素晴らしいと言い切る。戦争の愚かしさと人間性の肯定を同時に描くということは、すくなくともダンケルクという舞台を選んだ以上は、ハッピーエンドとなる側面の運命を合わせ持つ。そこが、生と死の不条理をテーマを持つこの映画の訴求力を損なうというアキレス鍵でもある。

もっとも超大作としての絶対的な使命はヒットして資金を回収することを思えば、優れた娯楽映画でなければならず、その意味でも見事なバランスだ。戦争映画の傑作誕生である。

MY評価:☆☆☆☆

2017公開   アメリカ   106min   原題/Dunkirk

製作・監督・脚本/クリストファー・ノーラン   

撮影/ ホイテ・ヴァン・ホイテマ  音楽/ハンス・ジマー

キャスト/フィオン・ホワイトヘッド、ハリー・スタイルズ、キリアン・マーフィー、
マーク・ライランス、トム・ハーディ、ケネス・ブラナー

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映画「SCOOP!」猥雑な海に漂いたい!

好感度高い猥雑空間


下世話で、猥雑で、特に主義主張も無いところが、とてもいい。

演出も、脚本も、奇をてらわず真っ当で、俳優陣も皆さん水準以上で最後まで愉しく観させてもらった。

でも、ちょっとだけ要らないところがあって、そこが無ければもっと良くなったのに惜しい。

一つ目は福山くんと二階堂ふみのベッドシーン。あれは総て要らなかった!この映画のテイストと全く相容れないものだった。とても綺麗に撮ってしまった。全く猥雑でもなく、エロくもなく、情緒もなく、哀愁もなく、何も伝わってこないシーンになってしまった。ここで必要な事は、ふたりが寝てしまうことを観客に伝える事ことだけでよかった。その伝え方に監督のセンスが試されるシーンだったのに…。よく解釈すれば、スター達のベッドシーンをどうしても入れてくれと映画会社やスポンサーにごり押しされて仕方なくでした…ということにしておきましょうか。

もう一つは、福山くんとリリー・フランキーの最後のシーンだけど、その前に伏線があって例のベッドシーンの後に、福山くんがこれも映画のキャラクターらしくなく自分の少年時代に憧れたロバート・キャパのあの超有名なあの戦場での兵士の写真をふみちゃんに見せちゃうんだよね。そして、チョット語っちゃう。それがラストに繋がるんだけど、これはやっちゃいけない。あまりに凡庸で作為が見え過ぎてあざとくなるだけで、かえってラストのインパクトを薄めてしまった。もしあんな伏線が無ければ、ラストはもっと唐突で衝撃的な味のあるシーンになったのにね。でも、多分だけど、ここのところが監督が一番のキモだと思って力入れて作ったんだろうなぁ、という気がする。

ザンネン!面白い映画なのに。

MY評価:☆☆☆★★★

2016公開 東宝 120min 

監督/脚本 大根仁 原作/原田眞人監督・脚本の映画「盗写 1/250秒」

キャスト/福山雅治、リリー・フランキー、二階堂ふみ、滝藤賢一、吉田羊
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本気でやめてほしいテニス解説がある!

音声切替無しの放送には消音するのみ!

「ワイドにナイスサーブ!」

「リターンが深い!」

「前に出たー!」

「ナイス、スマッシュー!」

ホントに止めてほしい。ポイント間の解説 !!

ラジオの野球中継か!!!

信じられない…、これが国営放送のベテランスポーツアナウンサーなのだから!

しかも、テニスは専門分野だ!

どうやら本人は得意の放送らしい。本人に聞いた訳じゃないけど、肝心な時に必ず出てくる。

でも、ここまでひどい勘違いアナウンサーは、国営放送のこの人だけだけどね。

スポーツ中継にも色々あるかとは思うけれど、ことテニスに限ってはしゃべり過ぎないことはとても重要なキーワードだ。

むしろテニス中継に於ける「沈黙」は時には素晴らしい時間の共有となる。

ポイント間に話すアナウンサーは論外としても、知っていること、今感じたことの全てを話したくて、我慢できずに話そうとしてしまう松岡修造さんや鈴木貴男さんの解説も、実はやり過ぎだ。必要な情報として視聴者に知らせてあげたいという気持ちはとても良くわかるけど。

黙っている事はとても難しいことなのである。

以前、アメリカのテニス中継を観たが、日本のそれと比べたらほとんど喋らないに等しく、それはとても快適なテニス中継だった。こんなテニス中継もあるんだと感心してしまった。テニス中継とはかくあるべきということがよくわかっているという事なのかもしれない。

日本のスポーツ中継は、総じてやり過ぎが多いようである。日本独特のサービス精神なの?電車の案内放送なんか一日中、必要以上に「サービス」し続けている。

「おもてなし」というけれど何が必要で何が不要なのかを知ることは、とても大切だ。そして同時にそれは、簡単なことではないということも知ってほしい。特にあの放送を許しているNHKは!

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錦織君が集中できなくなった理由とは?

まさかこれ程厄介な事態に陥るとは思ってもみなかった


2017年全仏オープンテニス準々決勝のマレー戦は、錦織選手の陥った事態の厄介さを如実に証明する結果となりました。

人はいろいろ言っていますが、結局のところ問題はひとつのようです。

突如として、彼の集中が途切れるところです。

表情を見れば一目瞭然。

あらゆる場面の彼の表情にそれは現れます。

見られている自分を意識している表情のことです。

自分を意識している表情とは、プレーに気持ちが入っていない表情であり、無心とは程遠いものです。

ミスをしてしまった時の悔しい表情の中にも、思わず溢れた悔しそうな顔の直後にそれは忍び込むし、エースを奪った直後にも表れるのです。

トップテンが自分の定位置であると自覚し、ビック4を射程内にした時からでしょうか、他者を意識する自意識が、以前の謙虚とでもいうべきある種の必死な純粋さを奪ってしまったかのようです。

彼のワンプレーごとの、どこか他者の眼を意識しているかのような眼の動きや苦笑いの表情は、以前から気にはなっていたのですが、事ここに及んでは無視することが出来なくなってきました。

そして更に事態を厄介にしている要素があります。錦織選手のポテンシャルのあまりの高さが事態をより複雑にしているのです。

直近のマレー戦の第一セットに代表されるように、世界ナンバーワンの選手すら何も抵抗できないほどのプレーをやってのけるのです。これほどの才能に恵まれた選手にひたすら無垢に必死にプレーしろと言ったって、それはちょっと無理があると誰しも思うところでしょう。

ところがそんな彼に突如として不安定な自信喪失感が襲ってくるのです。結果として集中力が突然切れたように見えるのです。

実際、自信の喪失感は集中力を削ぐのだろうし、いきなりプレーのレベルが落ちてしまう。

それはかつての負の記憶と成功体験との闘いと言い換えることもできるでしょう。

全てのプレーヤーは勝つことが成功体験となり、失敗したプレーの負の記憶を成功へと上書きしていきます。

錦織選手が負の記憶のプレッシャーに影響されはじめたのは2年ぐらい前からでしょうか。その頃はまだそれほど重く受け止めていませんでした。当然のようにそのうち克服するものだと思っていたからです。

ところが、それは次第にむしろ深く彼の記憶を浸食するかのようにこびり付て離れなくなり、事あるごとに顔を出すようになり、最近では頻繁に現れるようになっていったのです。

どうやったら克服できるのだろうかという問いの答えは…

もしその答えが、純粋に必死になれていたかつての自分を取り戻すことだとすれば、むしろとことん落ちる事が必要なのかもしれない、と思うのです。

下から追い上げてくる若い力に抜かれ、同時代のライバルたちにも後れを取り、気がつけばロンドンのファイナルに残れないどころかランキングもトップテンからも転落し、更に20位とか30位台になってしまうといこと。

もしそうなればとても悲しいことだけど、そのようなことが彼の気持ちに火を付ける条件なのかもしれない、と思うのです。

とはいえ、一番いいことは、彼の才能が全てを凌駕していくことであって、錦織選手なら突然そうなっても不思議ではないし、いきなりマスターズやグランドスラム優勝なんてことだって有り得る気さえしますが、やはりさすがにそこまでは無理なのでしょうか?

正直に言えば、最近では、錦織選手ではないけれど自分が自分を信じられなくなっているカンジで、錦織選手を信じられなくなってきているという、とてもザンネンな自分の気持ちを認めざるを得ないのです。

それぐらい全仏オープン準々決勝のマレー戦の負け方がショックだったということなのですね。

でも戦いは続きます。

次はウィンブルドン、そして全米オープン。

いったいどんな戦いと結果が待っているのでしょうか?

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キムタクネガティブキャンペーン?

やけに長いキムタク叩き


真偽のほどは知らないが、いや、真偽があるのないのかも知らないが、キムタク叩き、やけに長いなーって思ってたら、これってネガティブキャンペーンってやつ?

まあ、そうなる原因というか要因がいろいろあったんだろうと想像できるが、傍から見ていて、みっともないし、カッコ悪い!というのが正直な印象だ。

いつまでもいつまつつでも続き、とうとうスマップと関係ない彼の主演映画にまで同じテイストでそれは及び、もはや驚きの現象である。

それもいつかは終わり、そのうち気がつけば彼を誉めまくる逆転現象もありうるかもしれないが、それもなんだかね……いつものこととはいえ、性根の悪い人間を見ているようで気持ち悪い。

とにかく、傍から見ているこっちの方が恥ずかしくなるほどにカッコ悪い「キムタク叩き」現象である。

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失態アカデミーでアメリカを見直す!

思わず立ち上がってしまった!

ウォーレン・ベイテイとフェイ・ダナウェーのボニーとクライドのコンビが作品賞は「ラ・ラ・ランド!」とコールした!

「やった!」授賞式前に観といて良かったとしみじみ思っていたら、あってはならないまさかの間違え!喜びのスピーチがひととおり終わる頃壇上がざわめき出したなと思ったら「本当はムーンライトなんだ!」とラ・ラ・ランドのプロデューサーが叫んでいた。決して起こり得ない、有り得ないミスが起きてしまった瞬間を僕達はリアルタイムで目撃してしまった。隣で半分寝ていた息子がさすがに眼が覚めたらしく「アメリカンジョークなのか!」なんて口走っていたが、舞台上の錯乱と混乱と熱狂ともいえる興奮が、それが正に事実であることを証明していた。

ウォーレン・ベイテイの開けたカードは直前の主演女優賞の「エマ・ストーン/ラ・ラ・ランド」であったらしい。カードはなぜか必ず2枚あるらしいから、よく今までミスが無かったものだと逆に感心してしまった。

ところで、授賞式後のいつもの受賞者達への公式インタビューで、関係者達の返答がとても良かった。まずムーンライトのプロデューサーが「あの時僕が絶句したのは、受賞の喜びからじゃないんだ。ラ・ラ・ランドの彼らが僕達をすぐさま祝福してくれた態度の素晴らしさからなんだよ。もし逆の立場だったら僕には出来なかったと思うんだ」。そしてエマ・ストーンは「自分たちが取れたら勿論嬉しかったけど、ムーンライトが受賞したこともとっても嬉しかった。何故なら本当に素晴らしい映画だったから」

今回の司会は久しぶりに来年もやるかなと思わせる非常に良い出来だった。去年のようなちょっとヒステリックな印象の人種差別へのこだわりもなく、一貫して反トランプジョークではあったが、丁度いいカンジのブラックユーモアで気持ちよく笑えた。ジャスティン・ティンバーレイクの圧倒的なパフォーマンスのオープニングから始まって、天井からのお菓子のパラシュートも良かったし、スティングのしんみりしたパフォーマンスも大人の渋さで良かったし、ハリウッドの観光バスの人たちをサプライズで会場に入れてしまうのも楽しかった。ハプニングもあったが、その対応も含めて大人のエンターテイメントで、このところすっかり幻滅していたアメリカだったけど、日本には無いアメリカの素晴らしさを感じることが出来て、見直してしまったよ。

喜んだり、がっかりしたり、感心したり、まるでジェットコースターのような気分を味わうことのできたアカデミー賞でした。

あー、面白かった!

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映画「君の名は。」を観たが…

アカデミー長編アニメーション賞にノミネートなんて噂を聞いたものだから…

それデマだったのかもしれないけど…

とにかく、観た。

で、四分の三までは良かったと思う。

でもその後が残念な結果に終わってしまったようだ。

興味を引く展開とたたみかける演出と脚本はなかなか良くて、物語の世界に引きずり込む力は大したものだったんだけど… ストーリーの盛り上げ方が余りにも力が入り過ぎていて空回りで、ラストシークエンスが余分にさえ見えてしまった。

端的に言うと編集がまずい。あと20、30分刈り込むべきだった。捨てきれず全部入れてしまったようにみえる。物語の中盤から波状攻撃のようにたたみかける演出は息切れし、最終章に集約してこない。全体的に冗漫で破綻しているとさえ感じた。これじゃアカデミーノミネートは難しい。

着想も良く、物語の力強さもあって、アニメーションの映像の美しさと音楽もマッチするなど良い点も多かったが、ここまで歴史的なヒット作になった理由は宣伝の巧みさ以外に思いつかないというのも正直なところだ。

そして、なによりも致命的だったのは、感動を作り上げようとする作為が目立ち過ぎたところだった。

MY評価 ☆☆☆★★

2016年  東宝  107min

監督/原作/脚本  新海誠

音楽/主題歌  RADWIMPS
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トランプ大統領、魅力無きアメリカ!!

アメリカ人じゃなくて、ホントウに良かった!

かつて、憧れたこともあったのに…

子供の頃、なんでアメリカ人に生まれてこなかったんだろう?と自分の運命を幾分悲しんだこともあったのに、今ではアメリカ人に同情すらしてしまう。

トランプがとうとう大統領になってしまったからだ。

これが決定打。アメリカに対して持っていた上質な楽天主義や夢や希望や良心とかいうものが、みるみるうちに色褪せていってしまった。

アメリカと言えば、ハリウッドを代表するアメリカ映画のつまらなさは、この数年ずっと続いていて年々観たいと思わせる映画が減少していた。いまやアメコミかアニメばかりで、失敗できないハリウッドの持つジレンマにかなりの閉塞感を感じていた。映画が誕生してから現代に於いてまで、かつてない程にアメリカ映画はつまらない時代になってしまっていると思っていたのは、僕だけなのだろうか?

ついにはアカデミー賞に対しても今までのようなワクワク感が減少している自分を感じていて、とても寂しい気持ちになっている。正直いうと、アカデミー賞授賞式には必ず会社も遊びも休んで準備万端で臨んでいたものだが、今年はテニスの予定が有るので録画でいいかな、なんて思ってしまっているのだ。

時代を反映してしまう映画という文化がこの有様のなか、トランプ大統領の誕生はむしろ必然だったのかもしれない、なんて思ったりもする。実際関係あるかなんて知らないけどね。

とにもかくにも、時代は確実に動いている。

僕達はこの時代にどう対応していくのだろうか?

ちょっと、引いた気分で考えるこの頃だ。

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あぶない、自分の正義!

正義とは、振りかざした途端にその意味を、その矜持を失うものだ。

時と場合によって、正義はまことにうざったく厄介な姿をみせる。

最近、こんなニュースがあった。

電車の優先席で老人に席を譲らない若者がその様子を自分で動画に撮りネットにアップしたという。

やりとりはこうだ。老人が若者にそこをどきなさいと言うと、若者は何故?と返す。老人は優先席だからと言う。若者はそういう人には譲りたくないと返す、とこんな感じらしい。そしてネットの炎上。

事情も真偽のほどもニュアンスもよく知らないのでこの件に関してはあまり言う気はないけど、世間によくあることで誰でも経験していることは、互いに自分が正しいと思っていて決して譲り合わないという状況だろう。

問題はやはり自分にこそ正義があると思っているところにある。相手にも言い分というか自分が正しいと思っているのかもしれないという発想や想像が欠如している。

自分に正義があると思えばどんなことも平気でやってしまうのだろう。以前こんなことがあった。渋滞している道路をバイクで走っている時にセンターラインを跨ぎながら渋滞の車を追い越して走った時のことだ。反対車線には全く車がいない状況で1台のバイクが向こうからやってきた。すれ違うその時強烈な衝撃が右半身を襲った。すれ違いざまに蹴られたのだ。右手から腰そして太ももにかけて蹴られていた。冬だったので履いていたオーバーパンツは見事に裂けていた。右手はしばらく痺れたままだった。あまりのことにあっけにとられたし、すれ違いざまなのでもはや追いかけることも出来なかった。自分が交通違反をしていたのは間違いないが、まさかの出来事だった。一歩間違えれば大きな事故になっていたかもしれない。勿論お互いにだ。多分、相手は一瞬で頭に血がのぼり正義の制裁を下したのだろうと想像した。通勤の道だったのだがその後二度とそのバイクを見ることは無かった。

もう一つ忘れられない事がある。それはとても苦い思い出としてこびり付いている。子供がまだ幼い頃、家族4人で自転車に乗って公園に遊びに行っていた時に1台のワンボックスカーが公園内の通路を遮って停車していた。僕はこんなところに車を停めるなんてふざけんなとばかりに車の横腹を蹴った。もちろん軽くへこまない程度だが。するとそれを見ていた車の持ち主が飛んできて思い切り怒られた。怒られて初めて自分が悪いことをしたことに気がついたのだ。妻も同様に僕を怒った。その様子は呆れてしまった感と一種軽蔑したニュアンスが混ざっているように感じて、僕は自分のしたことのあまりの間違いの大きさに驚愕した。妻に軽蔑されたかもしれない事と、子供達の前でそんなことをしてしまった自分の愚かさに唖然とし、同時に傷ついた。なぜあんなことをしてしまったのか?今にして思えば、僕を蹴ったあのバイク野郎と同じなんじゃないだろうか、ということだ。
ところが、妻や車のオーナーに非難され時に僕は戸惑っていたのだ。実は、なぜ正しいはずの自分が非難されているのかわからなかったのだ。一瞬ではあったが、理解できずに戸惑ったという事実にその後になって僕はショックを受けていたのだ。車を蹴るなんてことは普通じゃ考えられないことだが、その時僕はこんな場所に止めたら誰も通れないじゃないかと憤慨していたのだ。その時、自分だけが正しいと思っていたはずだ。でもだからといって車を蹴るなんて有り得ないはず。なのに僕は憤慨していたものだから……つい…… 事の是非を見失った瞬間である。
その時の感覚が生生しく記憶に残った。
僕の恥ずべき事ベスト10のかなり上位を占める出来事であった。まだ上が有るのかと言われそうだが、その通り有るのである。有るのだから仕方ない。全くひどいものである。

それだからなおさら、間違えは誰にもあると思いたい。

特に相手が悪いと思った時に間違えは起こりやすいのだろう。

ネット炎上となった優先席のやりとりも、互いに相手の方が悪く自分にこそ正義があると頑なに思っていたようだ。
人は正義の御旗を手にした途端に、いわゆる人が変わってしまう。今まで弱弱しかった人でさえ、居丈高に相手を攻撃することが出来てしまうもの。いきなり無敵のバリヤーと最強の武器を身にまとったかのようになり、相手がどうなろうが関係なくなる。いや、関係ないというよりは相手を破壊してしまうことさえある。過剰防衛とか過剰正義とか言われているものだが、日本人に多くみられる気質だという。そう聞けば最近の週刊誌とかメディアの報道をみれば、ああそうかと納得してしまう。

自分が正しいと思ったその時が、一番危険なのかもしれない。

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2016年の新語・流行語大賞「神ってる」はサイコーに気持ち悪い!

今年の新語・流行語大賞は「神ってる」だってさ!

ぼくのとは違うなー!

そもそも「神懸かってる」っていう言い方が嫌いだ。

なぜなんだろう、とても嫌いだ。

たぶんだけど、神懸かってるというコトバのチョイスの発想そのものに気持ち悪さを感じているからなのかもしれない。

有り得ないことが起こった時に、信じられないことは神の領域だという軽い発想なのだろうけど、その軽さと神という重量級のコトバのコラボレーションみたいな感じが気に入ってるのかもしれないね。おまけに「神ってる」というみんなのお気に入りの動詞化にしてるところが更に受けたんだろうなー。正直言って、その何もかもが気に入らない。気に入らない理由を分析すればいろいろ出てくるんだろうけど、それより気持ち悪さの方が勝ってるって感じだ。

今回の候補の中で一番気に入ったのが「保育園落ちた日本死ね」だ。

「一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」と育児中の母親と見られる人物が訴えた。そして「保育園落ちた日本死ね」だもんね。サイコーだ!スカッとする!この小気味良さはたまらないものがある。日本死ね、と言い切るところに怒りの大きさを感じるし、また死ねと言い切れるところが普段我々が言いたくても言えない様々な忍耐の苦渋を吹き飛ばしてくれる爽快さを感じる。しかも言ってる相手が事もあろうに「日本」国家だもんね。そしてその理由が「保育園落ちた」という切実な内容。その直後に説明なしに「日本死ね」とくるところも絶妙だ。文句無しにキモチいい。

結局、僕の感想は一番気持ち悪い流行語大賞は「神ってる」。

そして一番気持ちいい大賞は「保育園落ちた日本死ね」となりました。

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映画「ハドソン川の奇跡」しみじみと観て良かった!

クリント・イーストウッド作品、今回は特に良い出来

簡潔にして充分な満足感を味わうことが出来る。

無駄を省いた演出が実に気持ちの良いものだということが、これほどよくわかる映画もない。

と言っても、ストーリー構成はなかなか複雑で手が込んでいる。ただ、それをとてもスマートに展開させていく脚本と演出が大したもので、唸るしかない。

イーストウッド作品、やっぱり今回も傑作だった。

アカデミー賞候補も間違いないところだろう。

アメリカの良心がテーマだけに、作品賞はかたいところか。当然監督、脚色(原作ありのため脚本ではない)、そしてトム・ハンクスの主演男優、アーロン・エッカートも望外に良くて助演男優、というこの辺りの候補が有力だ。中でも一番有力な受賞候補は脚色かもね。大作ではないので、脚色賞一つということもある。ついでに言うと、意外にいい加減なアカデミーなので、原作がありながら脚本賞としてノミネートされるということもあるけどね。そして、もしいい風が吹けば5部門すべて受賞もあるかもだ。

来春のお楽しみ。

MY評価  ☆☆☆☆

2016年   アメリカ   96min   原題/Sully

製作/監督   クリント・イーストウッド
脚本      トッド・コマーニキ

キャスト    トム・ハンクス、アーロン・エッカート、ローラ・リニー
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「いちご白書をもう一度」が大嫌いだった!

あの当時、僕は「いちご白書をもう一度」の歌が大嫌いだった

フォークソングは好きだったが、四畳半ソングと言われていたものが嫌いだった。

かぐや姫の「神田川」やグレープ(さだまさしのユニット)の抒情溢れる歌が大嫌いだった。特に「いちご白書をもう一度」は嫌いだったし、生理的に受けつけなかった。

時代と自分がモロカブリだったのだ。

ほぼ完全にと言っていいほどシンクロしていた。

赤い手ぬぐいをマフラーにして銭湯の前で僕を待っていた彼女がいた。

もう若くないさと髪を切った僕がいた。

冗談じゃない!

いい加減にしてほしかった。

センチメンタルな音楽でわかった様なことを歌う世の中にうんざりしていた。

映画の「いちご白書」の方は大好きだった。公開当時17才だった僕は、心の琴線をモロに弾かれボロボロに泣いてしまっていた。その年僕は学校封鎖に関わり1週間の停学処分を受けていた。アメリカンニューシネマが台頭し、「イージーライダー」「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」が立て続けに僕の青春を彩っていた。同時にフランスのルルーシュ監督の「男と女」やメルビルの「サムライ」やロベール・アンリコの「冒険者たち」といった極めて上質な抒情とセンチメンタリズムの洗礼を受けていった。そんな最中の映画「いちご白書」は僕にとっては特別な想いの作品だった。だから、「いちご白書をもう一度」はとても許すことなど出来なかった。荒井由実の作詞、作曲。ユーミンは好きだが、この歌だけは許せなかった。特にみんなが好きだというところの歌詞が大嫌いだった。あまりに表面的な歌詞と安っぽいセンチメンタルな(当時感じていた)曲に嫌悪感で一杯だったことを覚えている。

しかし、あれだけ嫌いだった「いちご白書をもう一度」だが、今では何気に口ずさんだりしている。いまだに当時の思いは変わらないが、なぜかそれはそれとして全てを許している自分がいることも事実なのだ。もうこだわりは無い。ムキになるほどの若さはとうの昔のことなのだ。今では、もう若くないさと髪を切るくだりの歌詞に当時を懐かしむ大人たちにも優しい気持ちになれている。それはそれで世相だし時代に反発していた自分もそんな世相の一部だったのだ、と今は思えるようになった。

人の感じ方はいろいろだ。人はそれぞれに思いがあるもの。独りよがりは若さの特権だったのだろう。

あの時の嫌悪感を思い出すとき、様々な後悔、悔恨さえ懐かしく思い出され、胸の奥がすこし熱くなる。

だからなのか、今ではちょっとだけ好きになっている。

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映画「ザ・ウォーク」生きる意味を問いかける

 

ひたすら一途に、綱渡りに人生を、命を懸けた男の物語


今は亡き、ツインタワーと言われたワールドトレードセンターにワイアーを掛け、綱渡りをする。

あまりに突拍子もなく馬鹿げた思いつきが、いつしかそれはチャレンジとなり、見果てぬ夢は現実性を帯びてゆく。

ひとり、ふたりと周りの人々が彼の情熱の磁力に引き寄せられていく。

この物語は、1974年に実際に起った本当の話しだ

初めてそのニュースを聞いた時には一人の所業のイメージしかなかったが、映画を観ると成程こんなことはたった一人で出来るはずもなかったのである。

この映画のポイントは、何故彼等彼女は自分たちが犯罪者として逮捕されるかもしれないのに、最後まで協力を惜しまなかったのか?という事だろう。

協力者の一人は高所恐怖症である。何故彼は犯罪者になるどころか、文字どおり命を懸けることになってまで彼に協力したのだろうか?

そもそも主人公の彼は何故に命綱を使わない綱渡りをするのか?

そこに山があるからと言った高名な登山家の言葉を思い出す。この登山家は「Because it’s there」と言ったそうだ。文脈からだと「そこにエベレストがあるから」となるところを日本ではいつしか「そこに山があるから」になったという。エベレストという固有名詞が「山」になるといきなり哲学的な様相を帯びていくのは極めて日本的といえるが、でもどちらでもいいような気もする。そこに世界一高いツインタワーがあったからなのかもしれない。

この綱渡り師も周りの協力者達も、みんな何かに憑りつかれたかのように夢中になっている。ものすごく困難なことだからとても大変そうだが、同時にとても幸せそうだ。まるで困難だからこそ幸せだと言わんばかりに。目標は生き甲斐となり、達成した時、それは至福の一瞬となり、今までの苦労のすべてを凌駕するのだ。

馬鹿げているからこそ、際立って見えてくるものがある

人生に意味を求める必要なんかないのだろうか。

人生とはシンプルなものでいいのだろうか。

生きている充実感さえあれば、何をしていてもその人は幸せだということなのか。

何をの何は、ノーベル賞を獲るような研究でも、全く人の役に立たないことでも、何でもいいのかもしれない。

何故なら、ただの綱渡りだ。

もし失敗していたら、命を落とす上に更にただの愚かな犯罪者となり、馬鹿げた事件としていつしか忘れさられていくだけのこと。

しかし、結果はどうであれ彼等の挑戦は、確かに彼等を幸せにしたことに間違いはない。

そして、その辺りに、どうやら人生の秘密が隠されているような気がしてならないのでだ。

MY評価 ☆☆☆★★★

2015/2016  アメリカ   123min   原題/The Walk

監督・脚本   ロバート・ゼメキス

原作      フィリップ・プティ『マン・オン・ワイヤー』(白揚社)

撮影      ダリウス・ウォルスキー

キャスト    ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、ベン・キングズレー、

        シャルロット・ルボン

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2016年 楽天ファイナル 自分を信じたキリオス選手の勝利

ゴファン選手が勝つように見えたが…

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ショットの安定感と鋭さで上回るゴファン選手は、明らかにキリオス選手に圧力をかけ続けていた。

キリオス選手が1セットを4-6で落とし、2セット目も押されながらも自分のサービスをキープしていた中、突然ゴファン選手の集中力にほんの一瞬の隙が生まれた。ファーストポイントを今までノーミスだったフォアのダウンザラインをアンフォーストエラーで落とし、2ポイント目も同じくフォアのダウンザラインのフォーストエラーで落とし00-30、そしてここで痛恨のダブルフォールトで00-40となる。その後1ポイント返すが、結局このゲームを落とすことになった。

この後のキリオス選手はようやく大舞台での重圧から少しづつ解放されていく。3セットはむしろ精神戦の様相となる。息詰まる攻防戦はポイント毎に互いの選手にプレッシャーをかけていく。そんな中、キリオス選手が少しづつその圧力に押されていく。ぎりぎりところでキリオス選手の得意のサービスに力みからスピードも確率も落ちていく。ゲームを落としかけたところでキリオス選手が開き直ったというよりもやけっぱちにさえ見えたかのようにサービスを打ち始める。ポイント間は早くなり、しまいにはゴファン選手の構える間もないほどになり、仕方なくゴファン選手はタオルを要求するしかキリオス選手を止めることが出来なくなる。そして、キリオス選手は調子を取り戻していった。驚異のサービスエースの連発となり、もはや誰にも止めることのできないサービスモンスターとなった。

ゴファン選手の誤算は改良中というサービスのダブルフォールトだった。あれだけキリオス選手の威力のあるサービスをみせられると自分のサービスに力が入ってしまうことは仕方のないことだっただろう。ゴファン選手には珍しいほどのダブルフォールトの多さが負けに繋がったとさえ言える。プレッシャーは2人のサービスにのしかかり、ゴファン選手のあまりに素晴らしいリターンに圧力を受けたキリオス選手はダブルファーストで乗り切り、ゴファン選手は自らに圧力をかけダブルフォールトで2セットを落とした。

終わってみての正直な印象は自分でもすこし意外なものだった。勝ったキリオス選手の凄さよりも、負けたゴファン選手の素晴らしさが際立っていた印象だったからだ。

ゴファン選手の驚異的とも言える軽快なフットワークは錦織選手とはまた違った素晴らしさがあり、ストロークの正確性と安定感は鋭さも併せ持ち、キリオス選手の爆発的なフォアハンドを封じ込める威力があった。問題のサービスは流れるようなフォームから繰り出されるボールはコースもスピードも威力十分なものだった。全てのショットがテレビで観ていた印象よりも数段美しく鋭いテニスだった。

しかし勝った選手はキリオス選手の方だ。プレッシャーに圧し潰されそうになった時にそれを押し返したのはキリオス選手の自分を信じた自身の精神力と、それを裏打ちするサービスの技術への自信であった。

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大坂なおみ選手のポテンシャルとは?

ポテンシャルの凄みを見せつけた試合だった

dsc_0246正直言うと、まさかの決勝戦。

そこまでの怒涛の快進撃。

決勝戦は負けたとはいえ、結果的に大坂なおみのテニス選手としてのポテンシャルの凄さを証明した試合となった。

一年前の東レでは決勝戦後の女子ダブルスのエキシビジョンマッチに17才で登場していた。

あまりの大阪なおみのサービスの速さにレジェンド枠で来ていたノボトナとマヨーリが二人でリターンポジションについたのだがが、ふたりのど真ん中にサービスエースが炸裂したことを覚えている。ノボトナの呆れた顔が印象的だった。まだ200位台の頃だ。

そして一年経ち決勝戦で戦っているなんて、まさにドリームガールだ。

今回負けはしたが、時折見せた彼女のプレーは驚嘆に値するものだった。どんな状況からでもリミッターを外したかのようなショットが出現する。もう、笑うしかないという類いのものだ。観ている人には有り得ないプレーが突然出現するカンジだ。まさに潜在力の凄さを見せつけるようなプレーだった。

これからの彼女は、怪我をしないからだづくりがとても重要なことになるが、決勝戦の途中から肩の腱鞘炎の痛みでまともなサービスが打てなくなったのだが、怪我さえなければどこまででも上がっていきそうな勢いが、今の彼女にはある。

土居美咲選手とどちらが先にトップテン選手になるのか、とても楽しみだ。

まずは、ランキング30位以内が目標となるのかな。グランドスラムのシードの常連になることが自信と経験値を高めることになり、さらに上を目指すことに繋がっていくからね。

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土居美咲選手の戦いを応援する!

受けのテニスをしてしまった

dsc00847シードの重圧に沈んでしまった

全米オープンではとうとうグランドスラム初のシードとなった。

これで勝ち上がれる可能性が大きくなったと思ったら、一回戦敗け!86位の選手にやられた。

次戦が第一シードでジャパン女子オープン・テニスに参戦したが、一回戦負け。今回も100台の選手だった。この戦いは豪雨のために有明センターコートの屋根を閉じた中で行われた。練習では土井選手の打球音が一段と大きく会場に響く。いいカンジだ。しかし、全米と同様な消極的な戦いに終始してしまった。相手のリスクを負ったフラット気味のバックハンドに苦しめられたまま、最後まで攻められ続けて負けた。

そしてつい最近、東レの一回戦で大阪なおみ選手にストレートで負けた。

つまり、3大会連続の1回戦負けということになった。

それも言わば格下と言われる選手にだ。

格上には相当に強い。格下にだって弱いと言うわけではない。

しかし今回は壁にぶつかっていると言える。

とは言え、今回の壁は前回の壁よりなんとかなるような気がしている。

前回はきつかった。去年の暮れのベンチッチ戦で、ベンチッチのサービスで確か2セット目の5-1の0-40だったっけ。あと1本とれば勝ち。しかもベンチッチは完全に自分を見失い泣きながらのプレーだった。でもそこから負けた。

次もきつかった。直後の全豪の1回戦で、この大会で優勝したケルバーにマッチポイントを握りながら負けた。立て続けだったし、負けた内容が悪すぎて、立ち直ることは難しいと思った。失った自信の大きさは十分すぎる程に想像できた。

ところが立ち直った。驚くべき精神力。だから今回だって、ここからまたきっと強くなる、と信じたい。

格上とは誰だってやりやすいもの。思い切りぶつかれるからだ。テニスは向かっていく時は強いものだ。反面テニスは受けにまわると途端に弱くなてしまう。そんな時に番狂わせが起きがちだ。

dsc00848

土居選手が今回の壁を打ち破った時は、下位の選手に負けにくい選手になっているはずで、必然的に成績も安定していくことだろうと思われる。

そうなれば、いつかトップテンも決して夢なんかではないと信じている。

大坂なおみ選手は誰もがトップテン選手になれると言うが、土居選手はそこまでは言われない。

しかし、秘めたポテンシャルは凄いものがあると信じている。

ガンバレ、美咲ちゃん!

大坂なおみ選手とどっちが先にトップテンに入るか競争だ!

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今って、デフレスパイラル? それとも、安倍のスパイラル?

謎の発言「物価も上がってるが、給与も上がっているじゃないか」

なぜ政治家はそんなことを言うのだろうか?

政治家は官僚の作った数字を根拠にしているから?

政治家も官僚も庶民の生活の実感からほど遠いところにいる人たちだ。

庶民とは、日本の7割から8割を占める中小零細の企業の人たちで支えられているわけで、ほとんどの会社で給与は上がっていないのが現状である。

ところが、給与水準は少ないながらも上がっていると言っている。

その根拠とは、つまり、少数の大企業が数字を上げているからに他ならない。

数字はトータルすると、上昇していることは事実なので、そう言っているわけだろう。

もちろん政府は、数字の内容を知らないわけもなく、当然わかった上での、つまり確信犯ということになる。

でも、ほんとのことを言ったらアベノミクスが上手くいってないことになるから、知らないふりだ。

そうやって、時間をかせいでいる間に内容が追いつけばいいと思ってるのかなもしれない。

嘘はついてない、ということだろう。

しかし、言葉って空しい。

実際の生活が苦しくなっているのは本当のことだから、物を買わなくなり消費の落ち込みは避けられないから物が売れない、不景気は続き、やっぱり給料は上がらないという悪循環は続いていく。

もはや、デフレスパイラル! と言ってもいいのか‥‥

いや、安倍のスパイラル!

政府は大企業に設備投資を強要してるが、経団連も法人税を下げろと対抗している。

どっちにしても、全ては大企業頼みという構造は変わっていない。

一般庶民の生活の根本政策が無いから、この先も暗ーいカンジは避けられそうもない。

安倍のスパイラルは深く静かに潜航していく。

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性犯罪とは究極の自分本位!

多発する性犯罪の謎

最近の痛ましい事件を思うとき、性犯罪の恐ろしさにを考えてしまう。

いつからこんなことになったのか?

多分、今に始まったことではないのだろう。

或はメディアの発達でクローズアップされやすくなったことで、多発しているように感じるのか?

いったい性の犯罪とは何なのか?

人間にとって性の欲望とはとても根源的なものであって、なくてはならない欲求なのだろうか?

それは、ある種の人によってはとても切実で、その欲求を制御することが出来ないものなのかもしれない。

制御できないとは、自分で自分をコントロールできないということだから、もしその欲求が反社会的なものであれば、すなわち犯罪を犯してまで欲求を満たしてしまわざる負えないことになる。

欲望の理由は生まれつきの性癖かもしれないし、育った環境かもしれないし、その理由は様々だが理由を知ったところでどうなるものでもないのだろう。

世界中で今起きている犯罪の多くは性に関わる事件だが、殺人や、誘拐、監禁等の理由が自分のセクシュアルな欲望を満たそうとするそれは、究極の自分本位だ。

古今東西、人の歴史は自分たち自身の性欲との闘いなんじゃないかと思ってしまう。

それほどに人は進歩なんかしないし、愚かなままだ。

昔から戦争をし続けているし、一向にやめる気配すらない。

人は学習能力がほとんどないとしか言いようがない。

戦争を繰り返すといことはそういうことだろう?

だから、人は、自分は、もっと謙虚にならなきゃいけないはずだ。

もしかしたら、自分の中にある性の欲求、欲望を見つめ直した方がいいのかもしれない?

ごく普通に生きて生活している人と性犯罪とは、はたして無関係なものなのか?

あまり自分の中を覗き込んで、寝た子を起こす的なことにならないようにしたほうがいいかもしれない。

自分の中に何が眠っているのか‥‥

知れたものじゃない……

まさか‥‥‥ね。

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何が起きても不思議じゃない!トランプだって…

レーガンだって大統領。トランプだってなるかもだ!

有り得ないと思っていたが、今現実となる可能性が出て来た。

こんな事態を見ていると、本当に世の中には有り得ない事なんか無いんじゃないかと思えてくる。

この現象はアメリカの闇の深さというよりも、もっと一般的な庶民の普通の不満の塊が巨大なマグマのようになって噴出している感がある。普通の人々の普通の不満の濃度が濃いい印象がある。

トランプを大統領候補ににまで押し上げてしまったアメリカ社会の怒りのエネルギーは、今や収まるところを知らない。

もしも本当にトランプ大統領が誕生したら、日本の政治も経済も大きな打撃を受けることだろうが、そんなことよりもっと怖いのが、対立国との折衝に於いて特に北朝鮮とアメリカのの対立はエスカレートして行くことが想定される。そうなると日本もいやがおうにも引きずられていくだろうし、今やすでに戦争が出来る国になっていくような気配すらあるニッポン国…キナ臭い事このうえない。

僕たちの世界、いや僕たちの子供たちのこれからの世界が心配だ。

こんなに殺伐混沌とした世の中で、子供たちは今精一杯生きている。もっと人生を楽しんで欲しい、楽しい事をいっぱいしてほしいと切に願っているが、人生甘くないようだ。

だから何よりも、平和だけは維持してほしいもの。

そして何でもありのアメリカよ、どうか冷静になって欲しい。

一時の熱狂に身を任せ、一か八かの賭け事のようにならないでほしいものだ。

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都知事選、誰にする?

ここに来て、迷ってる

小池百合子が手を挙げたタイミングは、桜井パパを封じ込める絶妙なタイミング!

立候補の瞬間にやられた!と感じた。

ひそかに彼しかいない気がしていたからだ。

あくまでも、気がしていただけだが。つまり、知らなかった人だけど、でもなりたい人じゃなくて能力を認められてるのにやりたくない人がやればいい、と思っていたからだ。

その後の小池女子の打つ手打つ手が自民党の幹部たちを歯ぎしりさせる様は痛快なところがあって、これなら小池女子で決まりだなと思ったものだ。正直、お世辞にも好きになれないタイプの人だったのが、それほど気にならなくなっていた。

そこに、鳥越俊太郎の登場だ。

ビックリだ!へーっと思って、やっぱ鳥越さんだろうとなった。信用できる良い人の印象しかない。この際、経験とか能力とかより一番大切なのは誠実な人間性なのだから。リーダーに一番必要なものは誠実さである、とかのドラッカーも言っているではないか。その点はサラリーマン時代に嫌という程思い知らされているからね。これで決まり。

ところがだ、その鳥越さんが何だか変なのだ。とにかく都知事になりたい、ならせてください!と連呼することにまず違和感を持った。さらにテレビで話し始めたら、これがあの鳥越さんなのかと思う程に話の内容が薄く、ピント外れな印象を持ってしまったのだ。更に話が上手くないのだ。いや、むしろヘタといってもいい。説得力に欠けてしまう程にだ。困ったなと思ってしまった。

そうなれば増田ひろや氏になってしまうのか。能力ありそうだし、まともそうだな、となるのか?

しかししかし、こうなるとどの候補もヤバイ過去が取りざたされることになり、知りたくもない?ことが飛び出てくる。今や信ぴょう性の点で信用ぴか一の週刊文春で鳥越さんが女の問題でやられちゃったし、何にもなさそうな増田さんは舛添氏並みの悪行が露呈されている始末。

もう、わかんないよ!というカンジだ。

選挙やめようかな、と思ってるぐらいの今であります。

選挙を考える時に政策第一と言うけれど、もちろん政策が大事なことぐらい百も承知で言うんだけど、その政策を言う表情や言葉遣い等の話し方からもその人の人間性を見てしまうものだ。どんなに良いことを言ったって、こいつ信用できないと思われたらそれまでだ。

更に最近ではありとあらゆるところから情報が押し寄せる。マイナスの情報を知ってしまうだけでも、それが正しいのかどうかより何となく疑心暗鬼になってくるもの。週刊誌を読んだりしたら影響を受けてしまうのは仕方のない事だろう。鳥越さんの記事はまだ読んでないけど、後で買い物に行く予定なので、もう絶対立ち読みしてしまうだろう。そうなったらどうなるのだろう。今日の発売日の前日に鳥越氏から文春に抗議文送り後日刑事告訴する予定、と今日の新聞に出ていたが……。

どうなることやら、と思ったら今テレビで小池氏に対して殺害予告があったとのニュース。

どこまでエスカレートするのか?何だか興味深々の趣きだ。

さあ、どうする!

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幸せになるために/こだわりから解放されなきゃ!VOL-4

こだわりを捨てなきゃだよ!

人はどうして、こんなにもこだわりたがるのだろう?

とは言え、こだわりは人を面倒にするだけだと言うつもりもない。

何故なら、こだわりは人やその生活を豊かにすることもあるからだ。

それにしても、こだわりって、ただ生活してるだけなのに塵が積もるように増えていく。

それは、生活することが何かを選ぶ事の連続だからだろうか。

あらゆる場面で僕たちは、何かを選択し何かを決めている。そうしなければ物事は進んでいかないからだ。

選択や決定は何かと何かを比較検討することからスタートするが、人は知識と経験から培った価値基準や好みからそれを判断する。

そこにその人独自のこだわりが介在するわけだが、こうでなければならないといった基準が有ったり無かったりも真実だ。

確かな事は、歳を重ねると経験値がいたずらに増えるからなのか、その人なりのねばならないが増えてしまうことは避けられない。

年寄りにめんどくさい人が多いと言われるのは当たり前のことなのだ。

つまり、歳を重ねれば重ねる程にねばならないが増えていくので、大したことのないモノはどんどん消していこう!ということなのです。

よく考えてみればこうでありたいとか、こうでなければならないとか言うことの中身にはそれ程大した意味も根拠もなさそうだ。ただそう思い込んでいただけだったなんてこともよくある話で、この頃は自分の生活の些細な決まり事のようなことを敢えて崩しみたりする。すると、案外今までは何だったんだろうと思うことの方が多く感じている。で、やってみると意外に気持ちの良いものだということが最近わかった次第だ。

生活が気持ち良くなることは、とてもいいことだ。

だって幸せになることだから。

こだわりなんて全部捨てちまえ!

なんてね。

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還暦過ぎてセブンでバイト/49日目 VOL7 end

2016/7/7

セブンバイト /49日目

セブンってブラックだったの?

初めてのコンビニバイトがセブンイレブン。

そして4ヶ月が経ちようやく慣れ始めてきて、今一番思うことはコンビニってこんなに暇な時が無い程忙しく大変な仕事だったのか!ということ。

同僚に言うと、コンビニ経営は楽じゃないからギリギリの人員で人件費で抑えるし、時給も最低賃金だし、セブンは他のコンビニに比べて忙しいからブラックって言われるんだとのこと。セブンでも楽な所も有るらしいけど…

そこでネットで調べると、当たり前だが千差万別で様々だ。とはいえ、大変なところが少なくないらしいこともわかった。それもかなり劣悪な環境。それに比べれば僕の場合は忙しいだけで有難いことに環境はむしろ良い。

しかし客の多くがお金をカウンターに投げたり落としたりにはまだ慣れることはできない。

ベテランの同僚に聞くとこの地域の住人の質が悪すぎるらしい?だがその人はいつも酷いことを言われていていつも怒っている。それも僕だったら立ち直れないようなあからさまに有り得ない言葉を投げつけられている。まるでその人が客の悪い感情を呼び起こさせているようにさえ思えるほどだ。

そこだけを見ても、コンビニ業務、なかなか奥が深いのかも…

それにしても大分慣れてきたことだし、この辺でコンビニブログは終わりにしよう。

2016/7/7

追記

翌年の5月にコンビニバイトを終了しました。

不定期に諸々忙しくなってきた事が主な理由ですが、1年強のコンビニバイトの経験は充分に堪能しました、ということでもありました。

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幸せになるために/ストレスチェックVOL-3

自分のストレス度合いを知ろう

まさか自分がストレスにやられるなんて!

今年に入って、二度もやられていまったという自覚がある。

最初は年明け早々のメニエール病だ。思えば、珍しく幾つかのストレスを自覚していた。

ストレスが重なるとキラーストレスという相当ヤバイモノに変態するらしい。

云わば変態/メタモルフォーゼというやつだ。

ひどい時は死に至るというから、恐ろしい。

二度目は新しい仕事に挑戦していた時だが、自分にとってはハードルの高い挑戦という趣きであったため、毎日がそれ相応のストレスを感じていた。そんなさ中にひどい風邪を引いてしまったのだ。仕事を辞めて丸3年風邪など引いていなかったのに、引いてしまった。やっぱり、ストレスか?

この前NHKの番組のストレス特集で知ったのだけど、「ライフイベント ストレスチェック」というものがあって、ストレスは悪い事だけではなく良い事もストレスになるという。つまり日常の変化は全てストレスとなるらしい。だから、結婚も昇給も収入の増加も全てストレスになるということだ。実際にストレスチェックを試してみると、どうやら自分は充分に病気になるだけのストレスを受けていたことがわかってナットク。一年間に経験したイベント(出来事)=65項目を合計して、どれくらいストレスが蓄積しているかを把握する方法だ。

ちょっと大袈裟かもしれないけど、極端な物言いをすれば、生きるという事はストレスとの闘いだ。どうやって上手くストレスと付き合っていくかという事でもある。

そうなると、人が幸せになるためには、どうやってストレスを受け止めたり、流したり、解消したりしていくのかということがとても重要なことになる。

あなどってはいけないらしい。

自分だけはそうはならないという気持ちは、根拠のない自信だと思った方がよさそうだ。

ストレス!怖いようー!

あっ、怖がるのもストレスだったね!

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幸せになるために/自分が特別じゃないことを知ること VOL-2

舛添要一から学ぶ「特別な人間」について

都庁

今となっては元都知事となった舛添要一の今回の騒動では、かつての彼の言動のTV映像をいくつか観ることとなったが、それは本人自身が言うように天に向かって唾吐く言葉ばかりだった。

中でも特に印象的だったのが「平等」である。

彼は何故か強く人の平等にこだわっていたようだった。

それを見た脳学者の女性が「自分を特別だと思っている人ほど人の平等を言う傾向がある」と言っていた。これはある実験の結果らしいのだが、なるほどと思った。

つまり、舛添氏が舌鋒鋭く切って捨てるが如く批判していた内容は、特別でない普通の人間は批判の対象とするが、自分のような特別な人間は何をしても許されるという理屈らしい。

だから、今回のことも自分の中では当然のことをしていたまでで、彼にとっては何も批判されることのない当たり前のことだったらしい。

そう思えば騒動中の彼の終始怒っているかのような表情もすべて納得がいくというもの。ブーメラン発言と言われているが、彼が投げた言葉は真っ直ぐにその対象に届くはずの言葉であって、ブーメランとなって自分に返って来るはずの無いものだったのだろう。

つまり、実は本人の思いとは裏腹に、彼はごく普通の人だったというオチだ。

やはり、幸せになるためのキーワードは「自分が特別な人間ではないことを知る」ことなのか。

なんだか、あまりに空しい人の愚かさを見てしまったような後味の悪さが残った。

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幸せになるために/自分が特別じゃないことを知ること VOL-1

自分は特別な人間ではない

幸せになるために大事なことは、自分が特別な人間ではないことを知ること

なぜなら、もし自分が特別な人間であるならば、特別な人間である自分は人より優れている特別な状態とか環境に居なければならないが、なかなかそうはならないのが現実で、そのギャップに他人をうらやんだり、嫉妬したり、自分の不運を呪ったり、後悔したりで、幸せとは程遠いことになる。

ところが僕も含めて多くの人が、ある種のプライドと共に、自分は人とは違うのだと思っている節がある。自意識とプライドは自己を特別視していくことに繋がるのは、ごく普通のことだろう。

若いころの恥ずかしい思い出のひとつに、会社の先輩から「君は自分を特別な人間だと思っているだろう」と言われたことがある。今にして思えば、その人も自分は人とは違うんだという自意識を強烈に周りの人に感じさせるような人だった。だからこそ僕を観てそう感じたのだろうと容易に想像できる。

しかし、そもそも他人と自分を比較することが意味の無い事でしょ。

自分は自分にしかなれないんだから。

とはいえ、他人と比べることの無意味さを理解することは、言うほど簡単なことじゃない。

今、60才を過ぎてようやく誰かに対して素直にうらやましいと言うこともできるようになってきた。その心理をちょっと自己分析してみると、本当はそれ程うらやんでないらしい。つまりうらやんでいないからこそ人をうらやましいと簡単に言うことも出来るという、ちょっと矛盾していることになったのである。

言い換えると今の自分に自信が無いと他人と自分を比較してしまうが、自分に自信があると他人と自分をあまり比較しなくなる。

自信があるとは、自分を肯定しているとか、自分を好きならと言い換えてもいいのかもしれない。

となると、今自分は自分に自信があって自分を好きということか。

今の自分を好きになれるかなれないか?

うーん、なんだかむずかしくなってきた。

自分を大切に思うとか、一番に思うこととかとはちょっと違うし…

自分を好きになることと自信を持つことの関係性?

取り敢えず、多分だけど…

幸せへのはじめの一歩は、自分を好きになるということ!でいいんじゃないかな?

ものすごく当たり前の結論になってしまってどうしよう!

まっ、いっか、幸せは自分の中にしかない!っていうよくわからい事を言って今日はおわりにしようっと。

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グランドスラムの中でフレンチ応援は一番やっかいだ

ガスケに勇気百倍のフレンチ応援に負けた錦織君

錦織君、アウエー声援は基本的に無視

それは頼もしく、そして正しい。

しかし困ったことに、問題は錦織君サイドではないのである。

いくら錦織君がフレンチ応援に惑わされないとしても、自国のフランスの選手に注入されるエネルギーがやっかいなのだ。

去年の準々決勝でツォンガとフルセットを戦った時も、同じだった。

まるで国別対抗戦のデビスカップのような様相になり、選手は信じられないようなパフォーマンスを見せ始める。

フランスという国民は全く悪びれることなく自国の選手をあからさまに応援し、相手の選手には申し訳程度の最低限の声援を送るだけだ。相手(国)にどう思われようが構わないという妙な自信があるように見える。

日本人はそんな自信もないし、体裁が悪いので相手に失礼の無いように応援するところがあるが、フランス人は全くそんな素振りも見せない。

これは少し誉めているところもあるが、正直言ってすこし嫌だなって思ってしまう。特に自国にやたら自信があるようなところが可愛げが無いっていうか…。

こう書くと自分の中のナショナリズムと対面することになるが…。この件に関してはまたの機会にするとして、取りあえず錦織君の話しだけど、つまり、今度こそ錦織君にはフランスの大アウエー声援なんかものともせずに、ローランギャロスのセンターコートの中央に立ち、優勝を勝ち取って欲しい、ということを言いたいだけなのである。

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映画「リベンジ・トラップ/美しすぎる罠」こんな女に出逢わなくて良かった!!

同情の余地すらない悪女映画

「ゴーン・ガール」の後に撮ったロザムント・パイク主演の悪女系映画だが…

普通どんな悪女や悪人でも、主役であれば観客は多少の感情移入をするものだが、この悪女に同情の余地すらわかないのだ。

極めて乾いた印象の映画なのである。

主人公の胸中は怨念がどす黒く渦巻いているのだろうが、その顔は薄く乾いた微笑みが張り付くだけだ。

どうやら潔癖症らしいことと、自分が正しいと思ったことに執拗に執着する性癖をいくつかの場面でさりげなく見せることで、彼女のヤバそうな行動を予感させるところが特に上手い。

直接的に自分を攻撃した者への感情の激しさは異常きわまりないから、よくぞここまで表面的にしろ普通に生きてこられたもんだと思ってしまう。表面的であってさえそれは無理だろうというぐらい有り得ない性格は、さすがにこんな女いるわけないだろと思わないでもないが、彼女の過激な内面の在り方が映画的にワクワクどきどきで、そんなことはどうでもよくなるところがこの映画の面白いところだ。

観終わっての正直な感想は「今までこんな女に出逢わずに生きてこられた自分の幸運に感謝!」であった。

運が良かっただけなのだ!とリアルに思わせる凄い映画なのでした。

怖いようー!

MY評価:☆☆☆★★

2015/2016WOWOW初公開   アメリカ   94min   

原題/RETURN TO SENDER

監督/フアド・ミカティ

キャスト/ロザムンド・パイク、シャイロー・フェルナンデス、ニック・ノルティ
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還暦過ぎてセブンでバイト/29日目 VOL6

2016/5/17

セブンバイト /29日目

3週間前、ひどい風邪をひいた

1ヶ月以上経ち、ようやく慣れはじめてきたところの体調不良。

眼が細菌性結膜炎で真っ赤になり、瞼も腫れて三分の一程度しか眼を開けられなくなった。

しかも、出ずらくなった声で接客したら、ほぼ声を失ってしまった。

意志の伝達はささやき声だけ。

以前の仕事場であるならいくらでも休めたし、ここぞとばかりに好きなだけ休暇を取ったに違いないけど今はいちアルバイトの立場。いくら半人前とはいえギリギリ少人数でやり繰りしていることが分かるだけに、休むわけにはいかないと思ってしまったのが運の尽き。

有り得ない状態にもかかわらず、出勤したのであります。

仕事は色々あるものです

そんなんで仕事出来ますか?

「出来ます、声さえ出さなきゃ」とウィスパー高木は答えたのです。

その日は雑誌の整理と品出しと廃棄の管理、タブレットのようなハンディスキャナーでメモりながらのカップ麺等の品出し等々。やることは色々あるもんだ。

次の日はなんと冷蔵室の作業。風邪ひいてるのに……なんで冷蔵庫の仕事?何だか背に腹は代えられぬ的な感じなのか?

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ドリンクコーナーの後ろが巨大な冷蔵庫になっていて、いわば倉庫なのだがそこに籠って商品の整理と品出しをする。真冬のジャンパーを着込んで冷蔵庫のスイッチを切ればなんとかなる。但し10分毎にサーモが作動してスイッチオンになるので、その度に外に出てスイッチを切る作業を繰り返せば1時間でも入っていられるのだ。その間ドリンクは冷えないけどね。でも風邪ひくよりはマシだから、もう風邪ひいてるってーの!

声もある程度出るようになり、よううやくレジに入れるようになったのは5月の連休が終わってから。

3年ぶりにひいた風邪は、3年分の風邪らしい。

そしてまだ治りきっていない。もうすぐ1ヵ月が経とうというのに。

参った。

2016/5/17

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映画「レヴェナント:蘇えりし者」言葉を失うリアルな体験!

アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の最高傑作


今年のアカデミー作品賞受賞の「スポットライト」とどっちが面白かったかと聞かれれば、ハッキリ言って「レヴェナント」の方が格段に面白かったし、イニャリトゥ監督作品の中でも出色のできだったように思う。

静謐な場面も激しいアクションシーンも全篇エネルギーに満ち溢れているがけっして騒がしくなく、濃厚だが詩的でクリヤーな時間が流れていく。

極めて特徴的なのが、エマニュエル・ルベツキの殆ど自然光だけ(らしい)による撮影と、坂本龍一の重層的な音楽の織りなす映像の凄みである。

観る側は撮影が自然光だけかどうかなんてわかるはずもないが、観客に意図的に意識させる映像は、俯瞰のテレスコープのクレーンから降り立ち激しい戦闘シーンを滑らかな動きで追うステディカムや、そして息遣いも荒いクローズアップの手持ちカメラは、出演者の息がレンズにかかり白く曇ることさえ利用していく計算されたふてぶてしさは、あきれるほどに革新的だ。

我々はカメラを意識させられるが、同時に体験するかのごとく振る舞うカメラの視点に我を忘れ、この映像世界を実体験するのである。ルベツキのマジックだ。

結果的にアカデミー撮影賞3年連続受賞という未だかつてない快挙となった。

単純なストーリーのようだが、テーマは深く複雑だ

強欲な市場原理が先住民たちの精霊信仰の英知を消し去っていく時代を背景に、最愛の子を殺された父の復讐劇が繰り広げられるが、ふりかざすテーマはない。

物語を凄まじい映像でひたすらに紡いでいく中から立ち上ってくるのは、現代に生きる我々の過ちと脆弱さであるかのようだ。

映像の生々しさは観ている私たちに浸食してくるほどリアルに迫り、今そこで起きている映画の全ての事柄が、現代に生きる私たちに直結しているが如く強烈な力に溢れている。

すべての演者がそこに生きて存在していた。

映画が目指すリアリティの、奇跡のような到達地点だ。

レオナルド・ディカプリオの演技はこれ以上ないものであり、アカデミー賞受賞は当然の帰結だった。授賞式のディカプリオの意外なほどの落ち着きぶりが今ならよくわかる。自信もあったのかもしれないが、全身全霊でやりきったことの答えやご褒美は、もはやさしたる意味を持たなくなっていたのかもしれない、と想像してしまうほどに彼の演技は演技を超越していたように見えた。

MY評価:☆☆☆☆

2015/2016公開   アメリカ   156min   

原題/The Revenant(帰ってきた人)

製作・監督・脚本/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ  

撮影/エマニュエル・ルベツキ   音楽/坂本龍一、アルヴァ・ノト

キャスト/レオナルド・ディカプリオ、トム・ハーディ

第88回アカデミー賞受賞  監督賞、主演男優賞、撮影賞
 ノミネート 作品賞、衣装デザイン賞、編集賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞、        音響編集賞、視覚効果賞、美術賞 その他多数
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違和感満載!「勇気と元気を与えたい」

2016/4/27

誰でも言っちゃう「勇気と元気を与えたい」

特にスポーツ選手や芸能人がよく使う言葉だ。

ちょっと前までは少し恥ずかしそうに言っていた感じがあったのに、今ではみんなすっかり当たり前のように、すらっと言っている。

誰かが誰かに「勇気や元気を与える」ことは、もしそれが出来るなら素晴らしいことだと思う。

でも、勇気をもらったとか、元気になったとかは相手側が言うことであって、自分から言っちゃうなんて、ちょっと気恥ずかしい。だからその言葉を聞くといつも違和感を感じていた。どうしてそんな簡単に無邪気にに「勇気や元気を与えたい」なんて言えるのだろうか?

ところが、言われている側も「勇気と元気をもらった」と言う人が意外にも多いことに驚かされるのだ。

そうなると、自分の思っていたことがバカみたいで、それこそつまらないこだわりに感じたり、ただの理屈っぽいたわごとに思えてきたりする。

つまりはこういう事か。

ほとんどの人たちがそうであるなら、それでいいということか。

なら、全くそれでいい。

つまり物事はもっと単純明朗快活でいい。

もはや市民権を得た言葉として「勇気や元気を与えたい」は堂々群雄闊歩している。

でも…

自分の考えや感覚を声高に言う気はさらさら無いけど、この違和感は密かにでも持っていなきゃいけないというちょっとした思いからこんな事を書いているわけで、とここまで書いてきてひどく空しく馬鹿馬鹿しい気分…

どうでもいいか…

ひゃー、最悪ブログ!

でもこのままにしとこう。

この何ともモヤモヤと割り切れない感じはよく出てるので、あえてこのままにしておこう。

2016/4/27

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映画「マジック・イン・ムーンライト」恋のマジック金魚

金魚は自分の水槽の水を換えているのが人だとは知らない。それはまるで人間と同じだ。

と映画は言う。

人間だって所詮何もわかってないようなものだ、と言うことなのか。

人生では、知らないままでいることの方が良いこともある。

そのままそっとしておこう。

知る必要はないのである。

秘密は甘く危険で、時としてひどく残酷だから。

それが秘密で無くなった時、何もかもを失ってしまうこともある。

そして何も残らない。

すべては灰色の世界に溶け失せ、輝いていた想い出も無残な壁の染みとなるだけだ。

ウソのある人生の方が幸せだ とニーチェも言っていたらしいではないか。

秘密の香りを全篇に漂わせる恋のマジック

それも皮肉に彩られたユーモアで、見事に僕たちを秘密の恋のマジックに誘うのだ。

人生最大のマジックは「恋」なのだろうか。

人は誰でも恋に落ちるもの。

何故なら、僕たちは水槽の水を換える人を知らない金魚なのだから。

MY評価:☆☆☆★★★

2014/2015年公開   米/英合作   97min   原題/Magic in the Moonlight

監督・脚本/ウディ・アレン、撮影/ダリウス・コンジ、編集/アリサ・レプセルター

キャスト/コリン・ファース、エマ・ストーン
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はじめてヤフオクやってみた!

はじめてヤフーオークションをやってみた!

ブランディアに出したら、超安く査定されたので返却してもらい、今度はヤフオクに出してみた。

ブランディアは査定が気に入らなければ、出した品物を戻すことが出来るので気楽に出すことができる点はいいところ。

但し、むちゃくちゃ安い。手間が省けてお金になる代わりに、安いのは我慢しろということだろう。

で、ヤフオクだが、結論から言うと、やって良かった。

ブランディア:¥17,000

ヤフオク  :¥49,280

となった。

品物はというと

サルバトーレ・フェラガモのダークブラウンの本革のジャンパー。

自分で言うのも何だけど、メチャメチャ柔らかい上質な皮で、まるでシルクのような肌触りの、いわゆる美品です。

落札者も品物の上質さに非常に喜んでいただけたので何よりでした。

でも良いのは当たり前で、4年ほど前に¥386,000(税抜き)で購入し、しかも10回も着ていないからとても状態がよく、本来は自分で気に入って買ったものだし長く着ようよ思ったのだけど、サイズが合わなくなってしまったのでやむなく手放すことになった一品。

正直言ってヤフオクは初めてだったので思ったより大変だった。

商品の説明は身幅等の細かな採寸は勿論のこと書かなければならないことがかなりあった。商品写真の添付だが普通は3枚しかできないところ、他に10枚添付する方法があったりでマスターするのにそれなりに時間がかかった。商品をアピールするために3枚ではさすがに少ないのでそれは必須だった。その他諸々設定項目があり初めてだといちいち面倒だった。

値段設定はヤフオクサイトにアップされている同じような品物を参考にしたのだが、結局写真じゃよくわからなかったので、適当に売りたい値段を付けた。

¥77,000でスタートし¥10万なら即落札という設定にした。

5日間をサイクルにして一回目の5日間で入札がなければ20%値を下げて2回目、さらに3回目も20%下げるという設定にしたところ最後の3回目で入札がありギリギリ落札となったわけです。あぶなく入札無しで終わるところでした。

見てくれた人は100人位いて検討していた人が3人で入札者1人。

ヤフオク、結構難しいかも。

でもこれで大体わかったので、今度はサングラスでも出してみようかな…あっそうだ、ブランディアに5本も超安値で売っていしまっていた。

もったいなー!

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映画「深夜食堂」都会のオアシスがここにある

東京砂漠のオアシス「深夜食堂」

本気で常連になりたい居酒屋「深夜食堂」

テレビ番組を映画化する場合、良きにつけ悪しきにつけ気合が入ってる感じが伝わってくることが通例だが、この映画はいい感じで力が抜けているところが心地よい。

ひと時の休息を得る市井の人々の溜まり場がここにある。

ここはオアシス。

しかし同時に或る意味、吹き溜まりだ。

都会の強風や荒波に揉まれさらされながら、傷つき、絶望し、途方に暮れたり、

もうほんとに疲れてしまった人たちが、ようやくたどり着く場所。

ふと見ると、そこに「めし」とあるだけの暖簾を見つけた時、

吸い込まれるように、ここに来ることが決まっていたかのように、ふらりと入ってしまう。

ここは「深夜食堂」

ほのぼのと幸せな時間が流れる。

誰だって、ここの常連になりたいと思うに違いない。

MY評価:☆☆☆★★★

2015年公開   東映   119min

原作/安倍夜郎、監督・脚本/松岡錠司

キャスト/ 小林薫、高岡早紀、柄本時生、多部未華子、余貴美子、田中裕子
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映画「サンドラの週末」しみじみ身につまされる秀作

生活が崩壊するリアルな恐怖

この映画の中の生活環境では、失職イコール基本的な生活の崩壊に繋がることを意味していた。

他を探せばいいという話ではない。

もし自分がその立場になったなら…

次第に主人公サンドラの気持ちに感情移入していく。

彼女が泣いたり、気分が悪くなったり、死にたくなったりする感情がそのまま伝わってくるようで、こっちまで胸が苦しくなってくる。

映像に重なる効果音やバックグラウンドの音楽は皆無だ。あるのはカーラジオから流れてくる音楽だけの演出は、まるでドキュメンタリーを見ているような錯覚におそわれる。

綿密に計算されつくした脚本と演出は、単調になりかねないストーリーをサスペンスフルで緊張感に満ちた世界へと導く。

気持ちがじりじりしてくる。

いったいここで何が試されているというのか?

言ってみればどの選択をしても人それぞれの都合があるし悪いという事はない。期せずしてみんなが試させられたのは、自分がこれから先何を大切にしてどのように生きていくのか、ということであった。

みんな一人一人が苦渋の選択を迫られる。観る側は登場するあらゆる人の立場に立つことになる。その違いに一々気持ちは揺れ動き当惑するのだ。

人にとって大切なものとはなんだろう?

時として人は重大な決断を迫られることがある。

どの道を選ぶのか。

選んだ理由がその人の価値を決めていく。

何を大切にしたのか。

選ぶとき何かを守り、何かを捨てなければならない時がある。

その時に何を守ったのか?

何を捨てたのか?

人をつくっていく瞬間が

そこにある。

MY評価:☆☆☆☆

2014/2015公開   ベルギー/仏/伊 合作   95min   

原題/Deux jours, une nuit

製作・監督/ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ

キャスト/マリオン・コティヤール、ファブリツィオ・ロンジョーネ

アカデミー賞:主演女優賞ノミネート
 英国アカデミー賞:外国語映画賞ノミネート
 セザール賞:主演女優賞・外国語映画賞ノミネート
 ヨーロッパ映画賞:女優賞受賞、脚本賞・観客賞ノミネート
 放送映画批評家協会賞:主演女優賞・外国語映画賞ノミネート
 全米映画批評家協会賞:主演女優賞受賞
 ニューヨーク映画批評家協会賞:主演女優賞受賞
 ボストン映画批評家協会賞:主演女優賞・外国語映画賞受賞
 ベルギー・アカデミー賞:作品賞・監督賞・主演男優賞受賞
 シドニー映画祭グランプリ受賞
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映画「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」 凝縮人生オン・ザ・ウェイ

気がつくと自分の人生を振り返っている映画

人はただ生きていくだけなのに

どこかで決断し

行く道を選択しなければならない

選んだ道で その人の人間性がつくられていく

誠実な人 不実な人

悪い人 いい人

大変だけど 幸せにつながる道を行く人

楽だけど 不幸につながる道を行く人

大変で 不幸になってしまう人

楽なのに 幸せになれる人

人生オン・ザ・ウェイ

自分の来た道を振り返る時、選んできた分かれ道を見つめてしまう。

正しかったのだろうか?

誰でも、少なからずいくばくかの後悔と無念さを胸に秘めて生きている。

そして誰だって、これから自分の行く先に何があるのかなんて知るよしもなく生きていく。

みんな、ただ今を何とか生きていくだけだ。

僕のオン・ザ・ウェイはどんな所にに繋がっているんだろうか?

思わずそんなことを考えてしまう映画だ。

MY評価:☆☆☆☆
2013年/2015年公開   イギリス製作   85min   原題/Locke
監督、脚本/スティーヴン・ナイト、編集/ジャスティン・ライト
音楽/ディコン・ハインクリフェ、撮影/ハリス・ザンバーラウコス
キャスト/トム・ハーディ
第16回英国インディペンデント映画賞脚本賞(スティーヴン・ナイト)
 第40回ロサンゼルス映画批評家協会賞主演男優賞(トム・ハーディ)
 第27回ヨーロッパ映画賞編集賞(ジャスティン・ライト)
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還暦過ぎてセブンでバイト/12日目 VOL5

2016/4/7

セブンバイト /12日目

シニアバイトはコンビニ最適?

何気に、静かに傷ついた。

「初めにボックスかソフトか聞かないとだめだよ」とタバコを買った中年男性客に諭すようにそう言われた。

しかし実際はソフトしかないものもかなりあるために、結局はほとんどの銘柄を把握してからでないと注意されたようなことを事前に聞くことは難しい。
以下心の声「そりゃそうだよ、知ってればね!だけどあんた、200種類からあるタバコの中であんたの言ったタバコにボックスとソフトがあることなんて知らねぇよ!あんたは自分の銘柄だから知ってるだけだろ!」
いや、実はそんな話しではない。知らなきゃいけないことは当然わかっています。仕事なのに、なにを甘えたことを言ってるんだと、自分でもわかっています。でも、正直言ってちょっぴり傷ついたのも事実だ。自分よりかなり若そうな人に、60才を過ぎて当たり前のことを言われるのは案外キツイものだということが良く分かる。特にそれまでの仕事があまり人からとやかく言われない立場に居た人間ほどきつくなる。

仕事の種類に関わらず、この年齢で新しい事をするということは、そういうことだ。

出来ないことが色々あるので、程度の差こそあれ様々な場面で味わうこととなる屈辱的な気分は、避けることは出来ない。一日4時間しか仕事をしていないが日に何回も同じような気分を味わっている。

これは、すべてにおいて出来るようにならない限り続いていく。

コンビニの店員の仕事は普通に出来て当たり前で、少しでももたつくと何やってるんだとなる。そういう意味では実は出来るようになるまではなかなかハードルの高い仕事だと思う。コンビニワークには今までやってきた仕事とは違ったプレッシャーを感じている。

こんな事、実際に体験しなけりゃ絶対に分からなかったこと。その意味でもコンビニバイトやって良かったと思ってるし、大げさかもしれないけど、世の中の事少しだけだけど前より分かった気さえしてくるからある意味情けない。

やばいよねー!出来て当たり前の仕事って!

これって、認知症もそうだと今気づいた。

ボケると今まで出来て当たり前だったことが出来なくなるところが似ている。

認知症になったら、その屈辱感はコンビニ店員どころじゃないだろうな。

急に完全にボケるわけではなく、徐々に進行して行く中で正常な時にボケた自分を認識することは辛いし情けないことだろう。

そこで思った。コンビニシニア店員はボケ防止に最適なんじゃないかと。

そこでいい点を挙げてみた。

1)頭や手を頻繁に使うのでボケ防止にとても良い(最近こんなに頭を使ったことない!)

2)動きながらの立ち仕事だから足腰が丈夫になる(運動以外で最近こんなにずうっと立っていたことがない!)

3)働いている時間中、ほとんど大きな声を出している(これ案外重要かも、普通の生活ではこんなに声を出さない)

4)多少の収入になる(低所得と言えども定期収入だ)

こうやって見て見ると、シニアの生活を支える重要な要素がほとんど備わっているような気がする。

てことでシニアバイトはコンビニ最適かも?です。

但し、ここが肝心なんだけど、鈍くなってる頭と格闘しつつ数々の屈辱にもめげないでいられたら、という条件付きだけど…

2016/4/7

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錦織に見るメディア報道の拙さ!

ホントウに試合を見たのか?

先日フロリダで行われたATPテニストーナメントは、年に4回のグランドスラムの次に大きなマスターズ1000の大会。

結果は決勝まで進む快挙!

そして対世界NO1のジョコビッチが対戦相手となり、3-6,3-6の敗戦となった。

大手マスメディアの反応は錦織の完敗という表現に終始した。全くノーチャンスだった風の記事内容だった。

果たしてこのような記事を書く人はホントウに試合を見たのだろうか?或は見ても内容を理解できない程にテニスを知らない人なのか…。

マスメディアの重要な役割の一つに事実を正確に伝えるという事と、世界で活躍する人の足を引っ張らない(むしろ応援しろよ!)ということも大事なこと。

確かに、表面的に見れば今回のジョコビッチとのファイナルは錦織は自分のサービスを5回ブレークされている。しかし、同時にジョコビッチのサービスを2回ブレークしていることも事実だ。

決勝戦のジョコビッチの強さを考えれば、これはすごいことなのだ。さらに、様々な場面で錦織のプレーはジョコビッチを圧倒していたし、ジョコビッチの錦織に対する試合前の警戒は非常に強いものがあってその証拠に勝利の決まった彼の全身で飛び上がってガッツポーズをした様子は印象的だった。

今回、錦織は万全な状態でジョコビッチ戦に臨めたことから、相当自分に期待していたようだった。負けてしまったこと、彼を追い詰めることなく敗れたことをひどく悔しがった。なんと、その後の表彰式では「次は負かしてやりたい」と言ったのである。この言い方は表彰式での敗者からはあまり聞かないものだ。悔しさを表現したとしても普通はもっと穏やかな違った言い方になるものだ。ジョコビッチの勝利とマスターズの優勝が手の届くところまで来ている事を錦織自身が感じ始めているからこその言葉なのだろう。ジョコビッチも「自分も負けるわけにはいかないよ」とジョークまじりに言い返していたが…。

今回のジョコビッチ戦は、錦織圭にとって飛躍するための大きなエネルギーを得た試合になったのかもしれない。

それにしても、ノーチャンスの完敗という記事からいったい何を表現しようと言うのだろうか?そんなありきたりで表面的な記事を書くぐらいなら何も書かない方がよっぽどいい。

何も書かなきゃ、少なくとも頑張ってる日本の誇るアスリートの足を引っ張ることにはならないからね。

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テニス
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2016年/武道館周辺の花見 

この春、二度目のお花見です。2016.3.29 Tue.16時~。

九段下駅で降りて、武道館周辺のお花見。まだ三分咲き位でしょうか?

でもかなり咲いているところもあって、そこを中心に写真を撮ったら案外咲いているような感じになりました。

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ほとんどの場所は二~三分咲きです。

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満開には程遠いので、人の出も大したこともなく、歩きやすい。
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今日は風速6mの強風のためボートは出ていませんでした。それはそれで、いい感じ?

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映画「はじまりのうた」なんかいいなーこの映画!

音楽っていいよなーって

つくづく思える映画

自分の生きることの あらゆるシーンが

もしも 映画みたいに 自在に音楽に彩られたら

どんなにか 楽しかったり哀しかったりが ドラマチックになることだろう

景色はまったく 違ったものになるに違いない

僕たちの 目に映るすべてのことが どんな色を帯びていくんだろう

音楽は あらゆる物を 事を 変えてしまうチカラがある

音楽プロデューサーのマーク・ラファロがキーラ・ナイトレーの歌う「Lost Stars」に出逢うシーンは、音楽家の頭の中と現実との融合を描いていて、ほれぼれする。

未完成の歌曲を自分のアレンジで完成形に埋めていく作業を、映画というマジックで僕たちは陶酔と共に手に取るようにわからせてもらえるところがとても楽しく嬉しい。

MY評価:☆☆☆★★★
2013年製作/2015年公開   アメリカ   104min   原題/Begin Again
監督・脚本/ジョン・カーニー、撮影/ヤーロン・オーバック、 音楽/グレッグ・アレキサンダー
キャスト/キーラ・ナイトレイ、マーク・ラファロ
第87回(2015年)アカデミー歌曲賞ノミネート『Lost Stars』
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還暦過ぎてセブンでバイト/7日目 VOL4

2016/3/28

セブンバイト /7日目 今日一番のミスは…

今日は、もしかしたら大きなミスがないまま終わるのか、と思ったら落とし穴が…

セブンってnanacoカードってもんがあって、セブンだけじゃなくイトーヨーカ堂、デニーズ、LoFT、ビックカメラ、ヤマト運輸、等々で使えてポイントもたまる便利なモノがある。

支払いは、現金、nanacoカード、その他様々なカードと色々で、nanacoカードは当然お金のチャージ作業も発生するし、支払いは現金との混合も有り得る。

まあ、そういうことからのミスなのだが、今日のお客さんは顔色を紅潮させて怒った。瞬間的に怒った。あまりにに怒るので、その場にいた全員の3人がかりで謝った。

日に2~3人は怒らせているかもしれないな。

今日は一人だけだった(多分?)のが救いか。

2016/3/28

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